第1章 真夜中のパイドパイパー

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「小倉さんは違う。“全部上手くいくはずだった”?! そんなことあるわけない! 小倉さんは努力を放棄した。目先の利益に囚われて努力することをやめたんですよ! いや、それだけじゃない」  ただでさえ小さい小倉が颯太の気迫に気圧されてさらに小さくなる。 「小倉さんは自らのデータを書き換えることで努力をやめただけでなく、澤田さんの努力まで穢したんだ! 俺もそうだ。あんたに邪魔されて……! 俺だけじゃない、俺の研究に関わった全ての人の努力を水の泡にした!」 「……うう」 「この後、動物棟のネズミ達は殺処分されるかもしれない。そうなったら、もっといろんな人の努力がなかったことにされるんだ! 事の重大さが分かっているんですか?!」 「うううう……」  壊れた蓄音機のような音を立ててついに小倉は泣き崩れた。 「ごめんなさい……ごめんなさい……!」  研究室には小倉の嗚咽と止むことのない謝罪の声だけが響く。  怒りに震えていた颯太の拳はやがて力なく元の位置――颯太の膝の上に戻った。彼の唇はまるでラット達の仇を討ったとでもいうかのように強く引き結ばれていた。  こうして、愛里の出会った奇妙な事件は、解決という形で幕を閉じたのだった。  その日の夜、警察がやってきた。  解剖の寸前だったとはいえ、他人の動物を殺したのだ。小倉は器物損壊罪で逮捕されることとなった。  涙が枯れるほど泣いた小倉は、心ここにあらずといった様子でパトカーへと乗り込んでいった。赤いサイレンが夜の闇に溶けていった。努力を放棄し、他人の努力を壊した報いは大きかった。  澤田のUSBメモリは小倉の鞄から発掘された。ところどころに血が付いている。どうやら本当にラットの腹の中に収まっていたようだ。幸いにも中身のデータは無事で澤田は喜んだが、どこか複雑な表情だった。  それはあの場にいた皆が同じだ。結局、こう言うしかなかった。悲しい事件だったね、と。  唯一の救いは動物棟の他のラット達が殺されなかったことだろうか。真相が明るみに出た今、疫病の線は消えた。現在行われている病原菌の検査で陽性が出なければラット達は生き延びるだろう。
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