第1章 真夜中のパイドパイパー

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「ああ、福豊くん。福豊くんは……飲み会ですか」 「そうなんです。少し酔っ払っちゃいました」  今の時刻は夜の10時になろうかというところ。福豊颯太(ふくとよそうた)は顔をアルコールで赤らめて、夜の研究室に入り込んでくる。千鳥足ならば蹴り出すが、どうやらそこまでひどく酔っているわけでもないようだ。ここには危険な薬品や高価な器具が山ほどある。転ばれでもしたら堪ったものではない。 「その状態でCO2インキュベーター(培養器)開けないでくださいよ。ビールの酵母が育てている癌細胞に入って大変なことになりますよ」 「はは、そんなことしませんよ」  ひらひらと手を振りながら愛里に微笑みかける颯太。1回やらかしてるから言ってるんですよ、と愛里は心の中でため息をついた。せっかく育てていたシャーレの中の癌細胞が翌日には酵母にごっそり入れ替わっている。あの時の阿鼻叫喚は忘れられない。  彼の名前は福豊颯太。大学4年生で愛里のひとつ後輩である。  身長は170センチくらい、体格は痩せてもいないし太ってもいない。さっぱりとした黒髪にそれなりに整った目鼻。秋物のセーターを着込み、それでも寒そうに身を縮こまらせている。見た目だけで言ったらザ・普通。  ……なのだが。 「ぶえっくしょいっ!」  颯太がくしゃみをする。その反動で誤って実験台に手を着く。運悪くそこには誰かが放置していた三角フラスコ。フラスコは勢いよく倒れ、中身をぶちまけながら、転がり、落下――パリンという音が響いた。 「あがっ、これ酢酸だっ、くっさーっ!!」  鼻をつまみながら愛里はため息をついた。  福豊颯太。何とも幸せに溢れていそうな名字をしているが、彼の特性は何といっても“不幸”――それも他人を積極的に巻き込んでいく型の不幸だった。しかも酔っ払っているときは不幸を起こす確率が上昇する。何とも迷惑な特性だった。 「うわ、どうすんだ、これ。ティッシュで……ああ、服に付いた! 手がヒリヒリするぅ!」
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