第1章

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一. 満洲の澄み切った空は、肌に差し付ける暑さだ。 すでに制海権を失いつつある状況下、内地の塩備蓄量は急激に減少の兆しを見せていた。「塩」がなければ生物は生きることができないが、それ以上に「塩」は工業の基礎であることは知られていない。無機化学工業製品の基礎原料であるが、特に「ガラス」は塩なくして作ることはできない。 ここ「復州湾」にある塩田は内地への「塩」供給地として重要な位置を占めているものの、海路が徹底的に狙い撃ちを食らった現在では、わざわざ普蘭店、安東、京城、釜山経由で運ばなければならず、それでも下関までの海上は常に沈められる危険性を負っての輸送であった。そのような中、気の触れた電文が内地からやってきて目を剥いた。 「復州湾ノ塩ヲ船舶ニテ日明港マデ運ブベシ」 頭にきたので 「此復州湾ニハ三百屯ヲ超エル船舶ハナカルベシ」 と通信員に打ち返させてほたっておいた。そうでなくともこの戦況の悪化をみて満人もだいぶ浮き足立っており、とある工場では職工が蜂起し製造現場が止まっただとかそういう噂さえも耳にし、ここで働いている日本人でさえも、ある種の緊張感を抱きながら仕事をこなしている有様だ。それを知ってか知らずか、しばらくしたら返電がやってきて、自分は通信員と呆然と顔を見合わせた。 「旅順港ヨリ七五屯機帆船十隻並ニデリッキ回漕手配セリ、明朝八時ヨリ滞貨積込開始サレタシ」 港には大量の塩が湿気た状態で溜まっているとはいえ、人夫はおろか燃料の手配すらままらなぬ状況下でどうやってこれを積み出そうというのか。現に北海道ではわざわざ冬の荒れた日本海を回航して沈んだ船も多く、小樽港に溜まった石炭といえばここの比ではないという。とりあえず滞貨は一掃できるだろうが、日明港まで無事回航できる保証はない。だいたい、こんな命知らずな芸当を進んでやる連中が本当にいるのだろうか。 「どれだけ金積んだってこんな馬鹿なことやる奴がいるのかよ」 「どっかから徴用してくれば、人手だけは集まるでしょう」 「徴用工?冗談じゃねえや。あんな覇気のねえ連中になにができる?そんな猫の手だけ集めて何の役に立つか」 「まあ、デリッキも持ってくるらしいから、少しは本気じゃないですかね」 「けっ、どうせお偉方の視察があるからこういう時だけ本気を見せるんだろうよ」(続
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