大学病院に入院

2/2
前へ
/105ページ
次へ
大学病院では、高度救急救命センターに運び込まれました、 CTやMRIの検査、診察が済み 担当医と思われる医師が 救急救命室から、出てこられ 現状説明と手術を行う事が、伝えられました。 手術の準備が出来るまでは、釜石の病院のような 暗い静かな安静室で アイマク、 耳栓をして 待つとのことです。 その頃、主人の両親が 義兄の車で 病院に向かいつつありました。 東京から盛岡まで、車では7~8時間かかりますので 私は、心配でなりませんでした。 主人がこの様なときに 車で来て 事故などがあってはと思ったのですが、 両親からすれば 我が子の 生きるかどうかの事態ですから、 どうか事故なく来て欲しいと 願いました。 しばらくして、手術説明がありますとの事で 私と息子と聞こうと思いましたが、東京から駆けつけた 主人の会社の社長にも あえて立ち会って頂きました。 主治医は、脳神経外科の助教授で お若い感じでしたが はっきりと解りやすく 現状態と手術の方法、リスク、後遺症の可能性の説明を受けました。 その時に、くも膜下出血は 1/3の人が 手術出来ない状態で亡くなり、1/3の人に 重度障害が残り、1/3の人が社会復帰出来ると聞きました、巨人軍のコーチをしていた木村拓也さんが 倒れたときにほぼ、心停止状態だったそうです。 主人の場合 とても難しい箇所に 動脈瘤があり それを 両側 二ヵ所クリッピングし、さらに 小脳への血流を確保するため ほかの血管でバイパスする必要があるとのことでした。 後頭部を手術するので、本人は手術台で うつ伏せになり 顔を真下に下ろした状態で 10時間以上そのままなので、頭部の血圧が上がり危険な事態もあると言われました。 危険があっても、手術して頂くしか有りません。 沢山の手術に関わる承諾書に、次々 サインしていきました。
/105ページ

最初のコメントを投稿しよう!

235人が本棚に入れています
本棚に追加