第2章 賭博師のラブシュプリマシー

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 林原の目から一筋の涙が零れ落ちた。  林原はハチに刺される前に後悔していた。告白しなかったことを。なぜ告白しなかったのだと聞いたらこう答えた。時期が早いと思ったと。  そうなのだ。告白の時期は決まっていたのだ。それは、恵美が坂井と別れた後。坂井が就職活動を終えた後。  だが、その日は永遠に来なかった。 「坂井さんは恵美と林原くんとの関係を察してしまったんです」  坂井はリア充になりたいと常日頃から言っていた。それは愛里が留美となって坂井の部屋に侵入した際にも言っていたことだ。  彼にとってのリア充とは、恵美とは真反対で、女性と親密な付き合いになることを意味していたのだろう。 「坂井さんは恋愛至上主義者だったんじゃないでしょうか」  恋愛至上主義(ラブシュプリマシー)とは、恋愛を人間における最高の価値と考える思想のことだ。  恋愛が生きる上で最も大事。恋愛こそすべて。  確かにそれは人間の欲求に非常に忠実な考え方ではある。しかし、彼のそれはどこかずれていた。  恋愛至上主義者は、精神的な恋愛を神聖視しており、情熱が切れれば別れなければならない。  坂井が変装した愛里と会ったときにこう言っていた。 『数学とかよりはマシだけど。それよりも俺はこうリア充したいわけよ。だから全然、研究室にも行ってない』  恐らく数学とは恵美のことを言っていたのだろう。恵美の所属は理学部数学科だ。 「坂井さんは、恵美の気持ちが自分から林原くんへと離れてしまっているのを知った。恵美の情熱が切れてしまっているのことに気付いていた」  元々、断りきれなくて始まった恋愛関係だとは思うが、と愛里は口には出さずに考える。曲がりなりにも彼氏がいれば、それ以上男は寄ってこなくなる。そう判断した恵美が坂井を側に置いたのもまあ納得はできる。 「そうなれば、坂井さんは怒るはずです」  きっと彼の中には憤怒の炎が渦巻いていたことだろう。 「気持ちの切れなんて許せなかった。だから坂井さん、あなたはこう思ったんじゃないですか」  愛里は林原から坂井に振り返る。 「“恵美は林原という男に殺されたんだ”と……」  身勝手な発想だ。自分が手に入れられなかったのは他人に奪われたからだと勝手に人のせいにする。
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