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~プロローグ~ 天才降臨
1945年8月15日、日本の敗戦と共に尾栢(おがや)百貨店の社長、尾栢 正秋の1人息子として尾栢 直広が産まれる。
直広は物心が付いた時から父による英才教育と秀でた天賦の才能で、人並み外れた頭脳を持ちながらも努力を欠かさなかった。
何故なら直広には生まれ付いてからの野望があったからだ。それは『絶対的な勝利』と言う名の信念、幼きして直広は『勝利』と言う言葉に強く貪欲だった。
スポーツ、勉学、芸術、全てにおいてナンバーワンにこだわり続けた。彼にとって1番以外は何物でも無いに等しかったからだ。
小学校の卒業文集に将来の夢はと書かれた欄には力強く『王様』と書いた。そう直広は頂点に立ちたかったからである。
何故彼がそうまでして勝利における1番に必要以上に執着心を抱き、飢えているのか、それは生まれた環境でも無ければ父による教えでも無い、自分が生まれた年、生まれた日が取り戻せない唯一の日本の敗戦と言う敗北の日だったからだ。
直広はそれが許せなかった。自分の誕生日が永遠に消え去る事は無い歴史に残る敗北の日だと言う事を、直広は誓った。必ず自分の手で勝利を収め、全世界に逆襲してみせると。
もちろんそれはテロや戦争などと言う下らない争いでは無い、直広の願いは父が経営する会社を日本だけでは無く、全世界最高の民間企業へと成長させる事だった。この事によって日本こそが世界の中心である事を示し、自分自身が世界の頂点と成って見せることで1945年8月15日、たった1つの敗北を偉大なる王の誕生日へと塗り替えるのだと心に決めた。
直広は18歳の時アメリカに留学し、帝王学、経営論を学び、22歳でアメリカの大学を首席で卒業すると日本に戻り、株式会社尾栢の副社長として主任した。
直広は会社を父では成し遂げれなった独創的な経営案を持ち入り、ほんの数十年で会社に子会社を幾つも持つ、グループ化に成功させた。
百貨店のみならずデパート、スーパーへと規模を拡大し、尾栢グループは日本だけでは無く、海外進出をも果たし、経営する店は合わせたら数百店舗にも昇り、当時父の正秋が持っていた店の数百倍へと成長させたのである。
直広は思った。誰がたった数十年でこんな事が出来よう、それは自分が『王の中の王』だからだ。直広は自分を信じて疑わ無かった。自分は神に選ばれし者だと。
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