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それから小箱はよく自宅に来るようになった。
今時、携帯も持っておらず、家の電話もひいていない小箱とこちらから連絡を取る手段はなく、適当な時間に自宅に来て飯を作って帰っていた。
小箱はキッチンに立って俺はそれを横から眺める。
包丁でトントントンと切る音や、箸でシャカシャカ混ぜる音、鍋から漂う湯気、小箱が調理しながらいつも口ずさむ下手くそな「エーデルワイス」
そんな音に包まれていると何故だか気持ちが穏やかになってきて、俺は馬鹿みたいに自分のことを話し出していた。北海道から俳優になりたくて上京したこと、ようやく夢も叶ってテレビに出てること、風変わりな村本のことまでお喋りな女のように話していた。
小箱は調理の手は止めず、聞いているのか聞いていないのか分からない態度で頷いていた。だけどその時間がとても好きで、特に小箱が調理の手伝いをお願いされるのが一番好きだった。食材を洗ったり、鍋をかき回したり、そんな単純な作業ばかりだったが、小箱はそれを誉めてくれた。
「キッチンでは笑ったり泣いたり怒ったりしてもいいのよ、自分勝手にね」
小箱にはこんな自分で決めたキッチンルールが数多くあった。たくあんは必ず二切れしか並べない、とか。一切れだと人斬れだし、三切れだと身斬れ、四切れだと世斬れだからだそうだ。
俺にとっては語呂合わせのくだらないことだったが、小箱がそんな小さいルールを一つづつ守る事によって、この空間が保たれていることは分かっていた。
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