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「勘違いしないでほしいけど、私、他に男いるから」
部屋を出て行く俺の背中に向かって、女は言葉を投げつけた。振り返りもせず履こうとしていた靴に、自分の足をねじ込む。なんとなくその靴が汚れている気がして、ほこりを手で払った。
そろそろこの靴も捨て時だと思っていた。
「もう連絡してこないで。男にバレるとまずいから」
「分かった」
「…それだけ?」
「最初からそれだけの関係だろ?」
「あたしのことなんだと思ってんの…最低、まじ死ねよ」
背中に降りかかる女の憎悪と恋慕。それをほこりと一緒に払うように、黙って部屋を出た。マンションの前でタクシーを止め、行き先を告げる。疲れた身体をシートに深く沈め、メーターの隣にあるデジタル時計を確認した。
深夜0時。
仕事先から女の家に行き、やるだけやって帰る。それで女が満足するわけもない。
『他に男がいるから』
男がいるかどうかなんてこちらからは何も詮索していない。勝手に話だし、勝手に自爆する、自意識過剰と被害妄想。
そして
フタを開ければ荒縄のような図太い神経。ポケットから携帯を取り出し、アドレス帳を開いた。淡いライトに照らされながら、何も思わずその女の電話番号を消した。
必要なものは名前のある誰かではなく、穴が開いてれば誰でも良かった。
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