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琴が見上げる赤い雨は、この世ならざる怪異の雨だった。
血のような怪雨が降るという話を、琴はおよそ聞いたことがなかった。
ふと琴は、おのが掌を見た。この怪雨に似た奇妙な体験なら覚えがある、という眼差しで掌を見た。
「あの羽根は夢幻であったか」
独りごちて、ここまで来た道を振り返った。後ろで結んだ黒髪が、はらりと揺れた。
「帰るというのか? 我を必要とされていないところへ」
つぶやいた声が、雨音のさざめきに消える。
深い森は、道の先を暗瞑にしていた。
その樹々に埋もれそうな道は、琴が辿ってきた人生の道程と同じであった。
「剣は人を斬る術ではない……だが戰さになれば否応なく人を斬るしかない」
琴は迷っていた。
「それが剣術の本質なのか?」
琴は剣を憂いていた。
身に刻んだ剣技が戰さで通用しないことを、まざまざと思い知らされたからだ。
「剣の道に迷ったか……」
そうつぶやき、まどろむように眼を閉じた。
赤い雨が降りやんだ。
地から湧く雨の匂いが、樹々の息吹に混ざり合い拡散していく。
消えゆく雨香は、鐵(てつ)の匂いに似ていた。
血の匂いに、それは似ていた。
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