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姿が見えなくなったところで、私の金縛りが解けた。それでも私は動かなかった。
思いついた事柄が、私の身体の中を忙しなく駆け巡っていた。
私が猫を恐れているのは、彼らの恐ろしさを知っており、彼らのことを侮れないからだ。
普通の人は、猫の怖さを知らないのだ。彼らを可愛がれるのは彼らを卑小と見なせる者だけだ。自分よりも圧倒的に下にいると思い込むことで、人は猫が自分と同列に立つことを回避している。
対等に立ちたければ、それ相応の脅しが効果的となる。
誰に対しても。
私はすぐに行動に移った。
部屋の押し入れを引っ掻き回して油絵具をかき集めた。つんとした匂いが辺りに広がる。もう私がこれを引っ張り出したことは隠せないだろう。どうせ気づかれると思ってしまえば、腹をくくるのもたやすい。
私は神山君のキャンバスの前に立った。そこには途方もなく綺麗な人がいた。もはや女神のようだ。彼には私がこう見えているのだろうか。それとも私をベースにして、身体の何もかもを神々しく光らせたのがこの人なのだろうか。彼の思考はよくわからない。少なくとも、この女神が自分をモデルにしたなんて私には到底思えなかった。
だから都合が良かった。
私は勢いに身を任せて、ありったけの油絵具を足の裏に塗りつけた。長ったらしい名前の書かれたチューブを潰し、色が飛び出し足を染める。溢れた絵具が床に迸った。濁りに濁った足の裏をゆっくり伸ばしてキャンバスに触れ、長い時間をかけて踏みにじった。女神の私の微笑みの下、誉れ高いお腹のあたりに黒々とした足形がついた。
油絵具はまだたっぷり残っている。
私は同じことを繰り返した。二歩目は肩に、三歩目は腰に、四歩目は腿に。
神山君は驚くだろう。怒るだろうか。泣くだろうか。何でもいい。何かを思えばいい。頼むから何か思ってくれ。
五歩目を顔につけるために、私は赤系の絵具を潰し、キャンバスに回し蹴りを入れた。女神の顔が赤く爛れる。慣れない動きをしたためか、私の脚が震えた。
キャンバスは倒れ、私も倒れた。油絵具が広がっていく。私の身体は赤に湿った。腹も肩も腰も腿も、色に塗れた。奇妙な符号に笑いがこみ上げ、思わず顔を覆った。顔面は、さぞや真っ赤に爛れたことだろう。
しかし背中は、背中だけは、一点の汚れもない。
遠くで猫の声がした。
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