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視界が反転する。
どちらが上でどちらが下か、わからなくなる。
ギュッと固く瞼を閉じると、次に来るであろう衝撃に身構えた。
ドカッと自分の体が地面に叩き付けられ、次にバサバサッと紙が散らばるような音が聞こえた。
それを聞いた途端、自分の体よりもまず、散らばった物の行く末を気遣った。
自分はどうでもよかった。
これだけは……この作品だけは……
「わりっ、てかお前、大丈夫か?」
粗野な男の声が降ってくる。
固い瞼を持ち上げると、焦った顔をした男に見下ろされていた。
つるつるした卵のように綺麗な肌に、力強い二つの瞳とスッと通った鼻筋。栗色のさらさらな髪。
およそ九割の女子が黄色い声を送るであろう容姿は、小学一年生から高校まで、ずっと見てきた腐れ縁の顔だった。
蛍にとってこの世で一番苦手で大嫌いな幼馴染み、神住 太一。
「だっ、ゲフッ、大丈夫、です……!」
床に転がった上半身を持ち上げて、今起こった事を瞬時に理解する。
そう、自分は廊下の角でこの男にぶつかって、盛大にふっ飛んだ。
急いでいた自分も悪いが、向こうも走っていたので両成敗と言う所だろう。
それは別に良い。ただ、床に飛散した愛読書の数々に顔面蒼白になった。
これが少女漫画なら、男同士の熱い友情漫画なら、ここまで心臓がえぐられるような思いはしなかっただろう。
しかし床に撒き散らされたものは、スポーツ漫画でもなく、友情漫画でもなく、少女の恋愛漫画でもなく………男同士の恋愛………すなわち腐女子がこよなく愛するBL漫画、なのである。
漫画といっても……不幸中の不幸、自作の同人誌だったりする。
それがよりにもよって、一番苦手なこの男に、神住太一の眼下に、広がっている。
その神住 太一の目が、なんだこれ?と歪んでいるのを蛍は見逃さなかった。
野球部さながらのスライディングで、床に散らばった同人誌の数々を体の下に押し隠す。
「わっ、わた、私は大丈夫なので、どうぞここは先をお急ぎくだせえ!」
「武士?ってか、お前の下にあるものなに?」
ギクッと体ごと反応してしまう。
ここで心優しい人間なら、何かを察してそっとしておいてくれるのだが、神住 太一は違う。
小学一年生の時からずっと自分をいじめて来たこの男が、そんな優しさを向けてくれるはずがない。
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