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そう言うと土地神は、ゆっくりと腰を上げて立ち上がり、海側の景色のよく見える方へと歩き始めた。
無論、右足が湯を掻くことはない。左足だけが水面を分けて、ちょうど船の航跡のような模様を作り上げていく。
『もうひとつだけ、柴名、貴様の質問に答えるとしよう。』
どん詰まりの柵までいって、立ち止まった土地神は、海を望んだままでそう言った。
柴名は無言を返す。だがそれは、最大級の興味を示すものであった。土地神も、それはよくわかったことだろう。
『何故消えるのか、その理由を「言えない理由」だが。』
「………はい。」
『月花の事だけではなく、今我は、山本牧場でのこの時を、
楽しく思う。
出来るだけ長く続くことを、願う。』
「土地神さ……………」
『今の心地よい雰囲気を、崩したくないのだよ。
ただこの一点に尽きる。』
そう言って僅かに顔をこちらに向けた土地神の、その表情は眼前の海よりもよく透き通って見えた。
『想像していたよりも、良いものだ。』
ーーーただそこにひとつ付け加えるべき感想があるとすれば、
その横顔は、
ひとつ大きな世界に解き放たれ、その新鮮さに胸を踊らせる少年の、
その屈託のない心の高揚が射しているようで、
これまでのどんな彼の表情よりも、
若々しく見えた。
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