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活気を失った校舎を一人歩く。
巨大な胎内のようだと、田渕は思う。
ごうごうと降る雨の音は血流の音にも似て、自らが響かせるスリッパの音だけが、心拍のようにリズムを刻んだ。
教室棟と体育館はもういいだろう。
理科棟と特別教室棟だけ見回れば問題はないはずだ。
理科棟の一番奥にある、使用頻度の高くない男子トイレの小窓が空いていた。
吹き込む雨が、個室のドアや床をひどく濡らしている。
恐らく良からぬ事をしている男子生徒がいるのだろう。
痕跡は見当たらないが、次から抜き打ちでチェックに来よう。
来られれば、だがな。
苦笑を漏らす。
田渕は掃除道具入れからモップを取り出して床を拭きながら、思いを巡らせた。
自分の生き方が理想と違ってきたのは、高校生の時だった。
どうしても目指したかったものと、どうしても許されなかったものの間で、揺れに揺れた。
建設業を営む父、専業主婦の母。
経済的に無理があったわけではなかった。
だが、希望する大学への進学を諦めたのは、体が弱かった母を思えばこそだった。
入退院を繰り返す母と、なかなか家にいない父。
一人息子の自分が、家事の一切と母の看護を担った。
そんな事情で、実家を離れるわけにはいかなかったのだ。
田渕が教員になった理由。
それは、
実家から通える範囲に希望する学部がなかった
仕方なくそれに近い学部に進学し、教員免許を取った
ただ、それだけのことだ。
進学を諦めると同時に夢も封印したはずだった。
今の今まで……。
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