青と赤に魅せられて

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  近づいてくるスリッパの音に、結衣は入り口のドアを見つめた。 間違いない、あの歩き方は先生だ。 何もすることがなくて、暫く音楽を聴いていたが、田渕が帰ってくることを心待にしていた結衣は、早々にイヤホンを外した。 それから先は現国の教科書を眺めていた。 授業中、意識を逸らしていたことへのせめてもの罪滅ぼしのつもりだった。 教科書を手早く鞄に入れると、結衣はドアが開くのをじっと待った。 カチャリ 軽い金属音と共に、違う空気が部屋に流れ込む。 田渕が姿を見せた。 「お帰りなさい」 満面の笑みを浮かべて、そんな言葉を口にする結衣を見て、はっはっと息を切らし、尻尾をバタバタ振り回す仔犬の映像が田渕の脳内を掠めた。 くっと笑いが漏れる。 田渕のそれを見た結衣が、更に表情を崩した。 結衣の脇を何事もないように通り抜ける。 「15分前になったら声をかけて。 昇降口を施錠したから、鍵開けないと出られないから」 努めて冷静に田渕は告げると、キャスターつきの椅子を引いて腰を下ろした。 きっちりと整理整頓された机上に、先日二年生に出した課題のレポートを広げる。 採点にはなかなか時間がかかるのだ。 結衣は赤いボールペンを握る田渕の背中を見つめた。 こういう時の田渕は、遠く手の届かない大人の男だと思うと同時に、一際心をくすぐられる。 淀みなくペンを走らせる様子をひととき眺めて、周囲を見回した。 結衣がいる長机の上にも物は一つもない。 本棚も、キャビネットの中も、綺麗に整理されている。 個人の持ち物ではないから、当然と言えばそうかもしれないが、几帳面な田渕の一面を結衣は誇らしく思った。 雨と風の音しかない空間。 風が唸りを潜めた時にだけ、田渕が文字を書く微かな音が聞こえる。 壁にかかる時計の秒針が、ぐるぐると同じ軌道を描いて、過ぎ行く時間を伝えていた。
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