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倉の方の息子の定広は、どちらかといえば暗愚で、もしも定広が藩主の座におさまれば、側近として臼井近胤がすべての実権を掌握するであろうことは明確だった。
もともと倉の方と臼井は、前藩主の直定が存命のころから通じているとの噂があった。ともすれば、臼井の異例の立身出世も、おそらくは倉の方が関わっているかもしれず、もっと悪くすれば、定広の実の父親は臼井かもしれなかった。
そう考えたほうがつじつまが合う。直慶をこれほどまでに追い詰め、亡き者にせんとしているのは、定広が倉の方と臼井近胤との子だからではないか。
そこまで思い至り、弥兵衛が面をあげると、彼らはすでに萱野の里に入り、亡き妻の家の目の前に来ていた。
着きましたぞ、と弥兵衛は若君を振り返ろうとしたが、静まり返った古屋に妙な気配を感じる。直後、どこからともなく刺すような殺気が漂ってきた。
「おそかったな、堀口弥兵衛」
不敵な笑みをうかべた大柄な武士が、ゆらりと弥兵衛の目の前に立ちはだかる。その背後には頭巾で面をかくした武士らが数人ほど控えていた。
「お主は、片平風雪」
「ほう、憶えていたか」
「無論だ。我(が)峰(ほう)流のお主とは、御前試合で何度かやりあったな」
「もう二十年ほど前になるか」
相槌を打ちながらも、弥兵衛はすばやく頭をめぐらせる。
――まずい、もうここを嗅ぎつけられたか。
落ち着かねば、と自身に言い聞かせながら、弥兵衛はあたりに視線を走らせた。娘の美弥が先に来ているはずだった。とらわれたのだろうか、しかし、それなら風雪が黙っているはずはない。となればうまく逃げたか、あるいは隠れているのか……。
「弥兵衛よ、あいにくだが思い出話をしに来たのではない。残念だが直慶どの共々、ここで死んでもらわねばならぬ」
風雪が言い終わるやいなや、待ちかまえていた覆面の者たちがわらわらと弥兵衛らを取り囲む。ともかく美弥は無事にちがいない、そう踏んだ弥兵衛は、背後の直慶を後ろに下がらせ、剣を抜いた。
「気をつけろ、この男は伝右衛門より手強いぞ」
風雪の言葉に、弥兵衛は一瞬耳をうたがった。
「きさま、もしや父を!?」
「ふふふ、伝右衛門はわが剣に敗れたのだ。冷水流の奥義など、しょせん我峰流の敵ではない」
「くっ……」
弥兵衛のかみしめた唇からぷつりと赤い玉が浮かび上がる。
「弥兵衛!」
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