第1章

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 風雪は、はなから相手にするのもばからしいと思っているようで、あからさまに嘲笑していた。 「子供を虐げるのは俺の好むところではない。娘、お前だけなら見逃してやるからどこへでも行け」 払うような手振りをして、風雪がふたたび弥兵衛に顔を向けると、 「片平風雪、いざ、尋常に勝負」 背後から幼い声がかかった。 「は、まだいたのか。そこまで言うならやむを得ん。かわいそうだが手加減はせぬぞ」 風雪ももはや覚悟を決めたようだった。 ハァ、と気合いの一刀で、斬り捨てた、と風雪は思った。 しかし、剣はむなしく空を斬り、力技で振りきった自身の剣の重みに、風雪は一瞬バランスを崩した。刹那、ひゅるひゅるとカミソリに似た薄刃が、自分の太ももを切り刻むではないか。 「な、なんだこれは!?」 「冷水流奥義、飛燕(ひえん)」  子供の口から出たその言葉は、風雪には信じがたいものだった。 「な、なんと、奥義だと!? こんな子供が!?」 驚愕のあまり、隙を見せた風雪のまわりを、脇差しを両手にした美弥がくるくると旋回する。その動きはさながら燕のように速く、しなやかで美しかった。 息を乱し、立っているのもやっとの風雪がついに膝を落とすと、突如、最後に一人だけ残っていた覆面武士が、脱兎のごとく背を向けて走りだした。旗色の悪そうな風雪を見て、逃げ出したのだろう。 「美弥! あの者を逃がすな! だが殺してはいかん」 直慶が叫ぶと、美弥は瞬く間に駆け出して追いつき、男の腱を斬った。 直慶は、足を抱えて転げる男に近寄り、その顔を覆っていた頭巾を取った。 「やはり、お前か」  苦しみに顔をゆがめて、憎々しげな目で直慶を見上げている、その男こそ、臼井近胤であった。 「冷水流の奥義を伝授されたのは、それがしの母でした」  城の中庭に面した広縁に腰掛け、弥兵衛は直慶に語っていた。 「なんと! では堀口伝右衛門は?」 「父も体得しようとしましたが、できませんでした。飛燕の剣は二刀の脇差を用いて、その名の通り、飛ぶ燕の羽のごとく敵を切り刻む疾速の技です。ゆえに、体躯の大きい大人の男にはもともと不向きな技なのです」 「……そうであったか。では弥兵衛、お主も」 「はい、それがしも元服したころはできたのですが、大人になり、体が筋肉で重くなると、できなくなりました」
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