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「お勤め先、もしかして、自衛隊関係?」
「どうして……分かるの?」
「よく日垣さんと一緒だったから、そうかなって。日垣さん、自衛隊にお勤めで、情報局のナントカ部長ってお役職だったんですよね」
美紗は顔をこわばらせ、征からホットグラスへと視線を落とした。
「前に日垣さんとマスターがそんな話してるのを聞いたことあるんです。それで、日垣さんと来てた鈴置さんも……」
そこまで言って、ようやく征は話すのを止めた。客の様子が落ち着かない理由を、誤解したようだった。
「あ、お、おおお、お仕事の話するのって、もしかして、かなりヤバい?」
美紗は下を向いたまま、かすかに笑みを浮かべた。この若いバーテンダーは本当に新米なのだろう。客を苦笑いさせるのが大の得意らしい。
「篠野さんの言うとおり、私は防衛省の職員で、今は統合情報局に勤務しています」
「いいの? そんなハッキリ言っちゃって……。後で『正体を知った奴は消す』とか言われたら、すごく困るんですけど!」
征は慌てて席を立とうとした。美紗は小さく笑って彼を止め、指を口に当てた。
「そんな声出さないで。所属くらいは公にしても問題ないから。細かい話はあまりできないけど、でも、うちの職場に変な道具抱えて人の家に忍び込んだりする人はいない、と思う」
「え、『思う』なの? じゃ、もしかしたらホントはいるかもしれないってこと?」
征はひきつった声を出した。頭の中がすっかりスパイ映画のワンシーンになってしまったようだ。美紗は困った顔をして、征の現実離れした推測を否定した。
「私は事務職だし、情報局に配置されてまだ三年目だから、知らないこともたくさんあるの。立ち入れない所もあるし……。でも、統合情報局は、基本的には軍事情報専門のシンクタンクって感じです。人込みに紛れて隠密行動なんて、警察の方のお仕事ですよ」
そう説明しても、征は目を大きく見開いたまま、美紗をまじまじと見つめるばかりだった。窓ガラスに映る街明かりのせいなのか、驚きを正直に表す若いバーテンダーの瞳は、澄んだ藍色に揺れていた。
アイリッシュ・コーヒーを飲み干す頃には、美紗はなぜか、久しぶりに心が静かになっていくのを感じていた。体の中に温かさと甘さが広がるにつれ、この若いバーテンダーに対する戸惑いと親近感が、心の中でゆらりと混ざり合っていく。
まるで、カクテルグラスに注がれた二色の液体が、熟練のバーテンダーによって優しくステアされていくように……。
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