4-8 星のない夜空 

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 十二月に入ったばかりの金曜日は、師走とは思えない暖かさだった。約束したわけでもないのに、馴染みのバーに向かう地下鉄の中で、美紗は日垣とばったり会った。「いつもの店?」と短く聞かれ、はにかんで頷くと、彼は静かに手で髪をかき上げ、嬉しそうに笑った。  美紗を連れた日垣がバーの中を覗くと、店内は満席だった。忙しそうに立ち働く若いバーテンダーの一人が、常連客の彼に、「十五分もあれば『いつもの席』が空きそうだ」と教えた。  日垣は店員に向って天井を指さすジェスチャーをすると、美紗のほうを向いて、「上で待っていよう」と言い、店の入り口そばにある階段へと向かった。 「屋上が喫煙所になっているんだ。本当は安全上好ましくないんだろうけど、煙草好きのマスターがこっそり常連客に開放していてね」 842b2550-ec65-44bb-9821-81455c460e4f  薄暗い階段を上がり、端のほうのペンキが少し剥がれている鉄扉を開けると、都会の夜空があった。晴れているのに、星は見えない。地上の街灯りだけが美しく光り輝いていた。  十五階建てのビルの屋上の端で、美紗と日垣は立ち話をした。日中、異様に暖かかったせいか、夜になっても、コートを着ていれば寒さはさほど気にならなかった。 「私が初めてここに来たのは、もう十六、七年前になるかな。その時の上官に『自衛隊を辞めたい』と言ったら、この店に連れてこられた。当時は店の中でも煙草は吸えたと思うんだけど、なぜかこの屋上で話していたのを覚えているよ」  美紗は、安全柵の向こうに広がる夜の街を眺める日垣の顔を、そっと見上げた。  統合情報局第1部長を務める彼は、一選抜(いっせんばつ)で昇進の階段を駆け上がり、今や同期の中でも一、二を争う位置にいると聞いている。いずれは航空自衛隊のトップである航空幕僚(ばくりょう)長にまで登りつめるだろう、と囁かれる彼でも「辞めたい」と思うことがあったとは、意外だった。 「十代の頃はパイロットになりたくてね。一番早く飛行機に乗れるのは自衛隊の航空学生だと聞いて、高校三年の時に受験したんだ」
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