4-8 星のない夜空 

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       ****** 「その時、たぶん、私、日垣さんのこと、好きになったの」  ぽつんと言った美紗は、頬が少し温かくなるのを感じた。今は、篠野さんのカクテルを飲んでいるせいだ、と思った。 「そっかあ!」  征は満面の笑顔を浮かべ、落ち着いた店の雰囲気には全くそぐわぬ大きな声を出した。 「この店で生まれた恋って感じですよね! うわあ、何か嬉しいです僕! 何か御馳走させてください!」  藍色の目を輝かせてテーブルの上に置いてあったメニューを取った征を、美紗は憂い顔で止めた。 「私には、きっとこの『秘密』のカクテルが合ってます。日垣さんを好きだなんて、大きな声で言えないから」  シンガポール・スリングの入っていたグラスの中で、氷が寂しげな音を立てる。 「何でですか? 日垣さん、いい人じゃないですか。上司だから? 同じ職場だから? そういうのダメとかいう規則があるんですか?」  無神経な質問を連発する若いバーテンダーに、決して悪気はなかった。美紗は困った顔で、黙っていた。 「年がすごく離れてるから? そんなの関係ないじゃないですか。三十くらい年が離れてても結婚する人たちだっているでしょ?」  征が無造作に口にした「結婚」という言葉が、今になって胸に刺さる。あの人と結婚したいなどと思ったことは、一度もない、はずだった。  あの人がこの街を去るまでの恋なのだと、  初めから承知していたのだから――
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