5-1 ランチでの噂話 

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  「私の友達だった人の話、聞いてくれる?」  まつ毛の長い大きな目が、じっと美紗を見つめる。 「五歳下だけど同期だった子がいてね、ずっと8部で一緒に働いてたの。年の割にはデキる子だったんだけど、……同い年の彼氏がいたのに、彼氏と別れてまで、同じ部にいた家族持ちの四十代と付き合い出しちゃって」  美紗はごくりとつばを飲み込んだ。 『彼女は情報のプロだ』  以前、日垣が吉谷を評した時の言葉が思い出される。美紗は、急にいわくありげな昔話を始めた大先輩の意図を、必死に探ろうとした。しかし、社会に出て数年の人間に、憂いを映す吉谷の瞳のその奥を推測することは、できなかった。 「相手のほうは、最初は『お食事止まり』のつもりだったみたい。でも、同期の子はもともと押しが強くて、あまり周囲の目とか気にしない性格だったから……」  吉谷の話では、かなり昔に不倫事案を起こしたというその友人は、当時、二十九歳だった。統合情報局に配置されてから四年足らずで、吉谷と同時に、ヒラの事務官から下級幹部待遇の専門官に抜擢された。  二人は、良きライバルとして、順調にキャリアを積み上げていった。しかしある時、同じ部に海上自衛隊の3佐が転属してきた。  都会的な風貌のその男は、自衛官には珍しく、かなり遊び慣れたタイプだったらしい。彼と吉谷の同期が、単なる仕事仲間から親しい間柄へ、そして、夜を共に過ごす関係になるまでの期間は、異常なほど短かった。  吉谷は職場の異変にすぐに気付き、好ましくない噂が部内に流れていることを、たびたび本人に忠告した。しかし、その時すでに、彼女の同期は理性的な判断力を失っていた。 「周りの人って、そんなに見ているものなんですか?」  吉谷の話を遮った美紗は、変な質問をしたと後悔した。常に気にかかっていることが、うっかり口をついて出てしまった。  吉谷は、美紗の顔を覗き込むように見ると、「こういう話、結構興味あるんだ? なんだか意外」と言って、少しだけ口元を緩めた。  美紗は、彼女の言葉を否定しようとして、やめた。馴染みのバーで水割りのグラスを静かに傾ける男性を思い描いて動揺しているのを気取られるより、他人の恋愛事情を知りたがる品のない人間のフリをしている方がマシだ、と思った。 「いいのよ。聞きたいことあったら遠慮なく聞いて。もう当事者はいないから」  美紗は、肩をすくめてみせる吉谷にどう返答したものかと思案しながら、冷えてきたドリアを口に運んだ。コクのあるホワイトソースがかかっているはずなのに、なぜか、何の味も感じられなかった。
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