5-3 梅雨時の憂鬱 

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  「佐伯3佐の前の前の先任が、空の3佐だったんだが、とにかくヒドイ奴でね」  問題の3等空佐の下で実際に勤務していた高峰の話は、何とも生々しかった。  恐ろしく管理能力に欠ける当時の先任は、支離滅裂な指示で直轄チームを振り回しては、各調整先ともめ事を起こし、その尻拭いをすべて部下に押し付けた……。  そんな醜悪な話の数々に、小坂はすっかり顔色を変えた。 「いやー、恐ろし。私がCS(シーエス)(海の指揮幕僚課程)に一発合格してたら、『暗黒時代』の直轄チームに来てたかもしれないんですねえ」  指揮幕僚課程の選抜試験に二回失敗している小坂は、「二年足踏みをしたおかげで難を逃れた」と安堵の表情を浮かべた。 「あなたの前任者は、当時はうちで一番若かったから、その先任にいいように使われて、ホント気の毒だったよ」 「(とみ)さん、あのアホ先任のこと、『無能、無責任、階級主義』って言ってたからね。しっかしホント、大変だったんだなあ。一杯おごってやりたいけど、今、北海道だもんな」  内局部員の宮崎は、年度末まで隣の席にいた富澤3等陸佐の不幸を想像し、しみじみと独り言ちた。 「で、その空の3佐ってのは、どうなったんです?」  遠慮がちに聞く小坂に、松永は首を掻き切るジェスチャーをして見せた。 「着任三カ月くらいで、な」 「そ、それはずいぶん、早いですね……」  小坂は素直に当惑の表情を見せた。  3佐クラスの自衛官は、ひとつのポストに最低二年は在籍するのが通例だ。一年で異動の場合は「やや問題あり」と解釈される。一年待たずしての異動ともなれば、特に不祥事を起こしていなくとも、人事上かなりのマイナスとなった。 「いや、遅いくらいだったよ」  会話に入ってきた日垣は、腕を組んで、パイプ椅子に背を預けた。 「私が対処を迷っている間に、あやうく富澤をうつ病にするところだった」 「はあ、その昔の先任って人、ずいぶん強烈なお方だったんですねえ。で、その御仁と今の空幕副長、何か関係が?」 「従兄なの」  日垣に変わり、宮崎が左隣にいる3等海佐に耳打ちした。 「アホ先任の従兄がご出世して、この七月で空幕副長になったってわけ」 「うわ、最悪。それで、その従兄さんの将官とひと悶着?」  宮崎は銀縁眼鏡を光らせて小さく頷いた。小坂は口をぽかんと開けて第1部長をしげしげと見たが、日垣のほうは無言で笑い返すばかりだった。 「で、問題の先任ってのは、無事に追い出せたんですか?」 「追い出せたけど、無事とは言い難いね。アホ先任はともかく、従兄閣下のほうは権力かざして後々まで嫌がらせしてくるし。ま、ドロ臭い話が聞きたかったら、続きは飲み屋で」  銀縁眼鏡の下でニヤリと笑う宮崎に、今回が初めての中央勤務となる小坂は「そんなこと、ホントにあるんですねえ」と眉をひそめた。  そこに、片桐がたまりかねたように口を挟んできた。
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