5-3 梅雨時の憂鬱 

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  「僕も、そんな話、ここ来て初めて聞きましたよ。将官なんて、部隊なら『雲の上の人』でしょう? そういう人が、バカな親族をかばって嫌がらせするとか、普通あり得ませんよ!」 「現実には、いろんな人間がいるさ」  声が大きくなる片桐を、人生経験の多い高峰は静かになだめた。  指揮幕僚課程を修了したエリート幹部の中にも、人間的にそのステータスに相応しくない者は存在する。所詮、筆記テストや論文で人物を総合的に評価することはできないからだ。そのような者は、大抵は部下からの人望を得られず、人格的に優れた同期の後塵を拝することになる。  しかし、ごくたまに、そのような不適格者が、ライバルの不運な失脚などで、棚からボタモチ式に重職ポストにありつくケースがある。そして、実力主義を謳っていても年功序列の風潮を色濃く残す軍隊や自衛隊においては、運だけで高級幹部にのし上がってしまった人間を後から排除することは極めて困難なのが現状だった。 「……やっぱり、噂通りの人でしたね」  小坂はすっかり真顔になって、ぼそりと呟いた。 「そいつ、海自にまで悪評が知れてるんすか。運だけで将官になったアホ、とか言われてんでしょう?」 「片桐。制服を着ている時は、そういう口をきくもんじゃない」  やや品位を欠く発言をした若い1等空尉を諫めたのは、当事者の一人である日垣だった。 「上位の人間をあからさまに軽んじるような言動は、自分の信用を無くすだけだ」 「そうですけど……、そんな人が幕の副長なんて、同じ()の人間として恥ずかしいですよ」 「気持ちは分からなくもないが、CS(空自の指揮幕僚課程)に行こうかという者が、思ったままを軽々しく喋るようではいけない」  片桐は不服そうに口を結んだ。  春に指揮幕僚課程の選抜一次試験を受けた彼は、一週間ほど前に、日垣から合格の報を受けたばかりだった。その時は「有り得ない奇跡」と上官の前で大騒ぎしていたが、ひとしきり感情を発散した後は、時間を惜しんで勉学に励むようになった。  八月下旬に予定されている二次試験に向け、純粋な希望と期待感を静かに募らせる彼にとっては、己が目指す教育課程を出ながら尊敬に値しない言動を取る高級幹部が、許しがたい存在のように感じられるのだろう。 「別に、()同士とか、そんなん関係ないだろ? それに、自慢できる1等空佐殿がここにおられるし」  小坂は、自分より五歳ほど年下の片桐に陽気に笑いかけると、日垣のほうにずんぐりした身体を向けて、姿勢を正した。
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