5-3 梅雨時の憂鬱 

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  「私が先ほど言った『噂通りの人』というのは、日垣1佐のことです。防大の同期で空自に入った人間に、私がここに異動する話をしたら、とても羨ましがられたんですよ。素晴らしい人の下で勤務できる、と言われて。その時はよく分からんかったですが、同期の言うとおりです。こういう方にご指導いただけるとは、本当に光栄です」 「急に何なんだ。おだてても何も出ないぞ」  居心地悪そうに髪に手をやる日垣の横で、宮崎が、わざとらしく口元に手をやりながら、奇妙な目つきで小坂のほうを見た。 「ちょっと、今頃うちの部長の魅力にお気付きなの? 僕はここ来て1時間で惚れちゃったわよ」 「それ、どういう意味に取ったらいいですかね?」  オネエ言葉にたじろぐ小坂に、一同が失笑する。その中で、片桐だけがにわかに立ち上がり、1等空佐をまっすぐに見つめた。 「おだてとかじゃないです。本気でそう思ってますから」 「片桐まで急にどうしたんだ」  日垣はいよいよ困ったような表情になった。しかし、直轄チームのベテラン勢は、温かな笑みを浮かべて、彼らの会話を静かに見るばかりだった。  皆、片桐と同じ思いなのだろう、と美紗は思った。 「日垣1佐。僕が空幕勤務になる頃には、変な人を全部追い出して、幕内を牛耳っていてくださいよ。できれば防衛部長になって」 「それは、防衛部長になって『僕』を引き抜け、という意味かな?」 「あっ、そうです、そうです。よろしくお願いします」  とたんに顔の筋肉を緩めてぺこりと頭を下げるお調子者に、幹部の面々は爆笑した。 「コネづくりに精出す前に、CSの二次試験に受かるのが当面の問題じゃない?」  宮崎が銀縁眼鏡をギラつかせてツッコミを入れると、片桐は首を吊るジェスチャーをして、ヒキガエルのような声を出した。  美紗はキーボードを叩きながらクスリと笑った。片桐のリアクションが可笑しかったのも確かだが、無遠慮な部下たちとくだらない雑談をした日垣が優しい笑顔に戻ったことが嬉しくて、自然と自分の顔もほころんでしまった。  日垣は、松永からいくつか書類を受け取ると、「邪魔したね」と言って立ちあがった。 「おかげで、嫌な『仕事』をひとつ片付ける元気が出たよ」  直轄チームの全員が、一斉に第1部長に目を向けた。処理すべき案件があるのかと、「シマ」の雰囲気が素早く仕事モードに切り替わる。 「いや、そういう話じゃない。今週の金曜日に、フランス大使館のレセプションがあってね。革命記念日の祝賀行事で、これまでも顔出し程度に出席してきたんだが、今年は、新任の空幕副長もお出ましだろうから……」
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