5-3 梅雨時の憂鬱 

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  「吉谷女史は、子供がいるから、夜は難しいんじゃないかな……」  高峰が口ひげから手を離し、眉を寄せた。  美紗は、言葉を発しようとして、急に息が詰まるのを感じた。  私がご一緒します、と言ったら、周囲にはどう思われるだろう。レセプションに同行するだけのことに、何か深読みをするほど、みんな暇ではないはずだ。  意を決したその時、小坂が、ガキ大将のごとく口を横に広げ、白い歯を見せた。 「8部でフランス語できる人を連れてったらどうです? 例えば……、あの子。見た目もちょっと迫力あるし、日垣1佐のことお気に入りだそうですから、きっと喜んで行きますよ」  美紗は、開きかけた口を閉じ、思わず右隣の3等海佐を凝視した。早口で話す彼の言葉の後半部分が、頭の中でエコーする。 「ええっと、名前なんだったかなあ。ほら、ちょっと丸っこくて、声大きくて、結構ケバくて、胸がこうバーンとデカい……」 「そういう言い方やめろ」  松永が睨みつけると、あやうく品のないジェスチャーを見せそうになった小坂は、胸のところに持ってきた両手を慌ててひっこめた。 「もしかして、(おお)()()さん?」  片桐が口だけ動かすように囁くと、小坂は数回ほど小さく頷いた。 「なんでそんなこと知ってんすか?」 「情報収集はオレの得意分野だ。なにしろ情報局勤めだからな」 「うちに着任して、まだ四カ月じゃないですか」  気心知れた仲の片桐と話す時だけ一人称が「オレ」になる小坂は、急にニヤニヤと顔を崩した。その横で、高峰が回覧中の部内誌をくるくると丸め始めたが、無駄話に興じる二人はそれに全く気付かず、ひそひそと軽々しい話を続けた。 「実はさあ、この間オレ、彼女にちょっと声かけたんだ」 「マジすか。何て?」 「まあ……、『メシおごるから一緒行かない?』みたいな。そしたら、『アタシ、日垣1佐みたいな人が好みだから、ゴメンナサイ』って、あっさり断られちった」 「いろんな意味で日垣1佐とは正反対っすからね、小坂3佐は」 「お前、しばくぞっ」  半分笑いながら声を大きくした小坂に、丸めた雑誌の一撃が飛んできた。 「何をくだらんこと言ってんだ。さっさとやることやらんかっ」  珍しく声を荒げた高峰は、続けて片桐の頭を叩き、大きなため息をついた。さすがに縮こまる二人に、「シマ」の他のメンバーが苦笑する。  しかし、美紗は笑うどころではなかった。普段、仕事上の接点がない第8部に所属する女性陣の顔を、必死に思い出していた。
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