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「……そろそろ、育休明けの後輩にポストを譲ったほうがいいかな、とも思うトコなのよね」
「だったら、また第8部に戻ってきてくださいよお。吉谷さんいたら、何かと心強いですもん。オジサン達、恐れおののいて誰も逆らわないから」
「何よそれ。どういう意味?」
すねた顔を作る吉谷に、大須賀は、ローズピンクの口紅を塗った口を大きく開けて賑やかに笑った。
「あ、そうだ。今週末、うち主体で女子会やるんですけど、よかったら吉谷さんもどうですか? たまには旦那さんにお子さん預けて」
「今度の金曜日? そこは予定入っちゃってるんだ。大使館でレセプションがあって、それに行くことになってるのよ」
昨日の、フランス大使館のこと……?
どくり、と心臓が嫌な音を立てる。「職員を『奥様代理』としてレセプションに同伴させては」という部下の提案にあまり乗り気でなかった日垣貴仁の顔が思い浮かぶ――。
固いものがいくつか床に落ちる耳障りな音がして、美紗ははっと我に返った。
手にしていた化粧ポーチの中身が足元に散らばっていた。床にしゃがみこんで急いで落としたものを拾い集めたが、すでに、テーブルに陣取る二人の視線は美紗に注がれていた。
「すみません。うるさくして……」
美紗は、床に這いつくばった格好のまま、子ウサギのように身を固くした。吉谷の隣にいる、「ライバル」の大須賀と目が合うのが、怖い。
しかし、根の明るい先輩二人は、美紗の心の内を全く察してはくれなかった。
「ここどうぞ。私たち、もう食べ終わったし」
「あ、日垣1佐のおひざ元にいる、えっと、鈴置さん、だよね。時間あったら少し喋ってこうよ」
はたして日垣の名を口にした大須賀は、美紗の返事も聞かず、更衣室の壁に立てかけてあったパイプ椅子をテーブルの前に広げた。完全に逃げるチャンスを逸した美紗は、強引なほどに社交的な「ライバル」に圧倒されながら、観念して椅子に座った。
「今まで、話す機会なかったよね。フロアも違うし。アタシのこと知ってた?」
大須賀は、自分の顔を指さして、すまし顔を作った。顔の造りも化粧の色使いも、やはり派手だ。
一目見ればまず忘れられそうにないその容貌には記憶があったが、大須賀の所属する第8部に縁のない美紗は、彼女の名前をおぼろげにしか把握していなかった。
統合情報局に異動して一年が過ぎ、すでに指導役の松永からも独立して、若手なりに一人前の仕事をもらってはいたが、自分の業務と接点のない人間関係を広げる余裕まではなかった。
もともと内気な性格の上、メンター役になってくれた吉谷に、これまで甘えすぎていた感もなくはない。
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