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「きっと、シブイお顔で静かに飲むんだろなあ。ウィスキーとかバーボンとか」
「水割りが好きみたいね」
美紗の頭の中を覗き込んだかのような吉谷の言葉に、胸が不快な鼓動を打つ。
美紗は、いかにもバーが似合いそうな美人顔をちらりと見た。なぜ、吉谷綾子はあの人の好みを知っているのか……。
「吉谷さん、何でも知ってますねえ。何か妬けるう」
大須賀がふざけ半分にローズピンクの唇を尖らせる。
「日垣1佐の行きつけのお店とかあるんですか? あったら、場所調べて待ち伏せしてやるのに」
「今はどうかな。昔は、隠れ家的なお店をひとつ、持ってたみたいだったけど」
吉谷は、なぜか懐かしそうな目をして、天井を見上げた。
吉谷さん、あのお店に行ったことあるの?
日垣さんと、二人で……
「ん? 何、美紗ちゃん?」
柔らかな吉谷の声に、美紗はすくみ上がった。心の中で呟いたはずのことを、うっかり口に出してしまっていたのか……。
「いえっ、何も!」
完全に声が上ずった。洞察力に長けた大先輩は、大きな目をさらに見開いて、不思議そうに美紗を見た。大須賀も、吉谷につられて美紗の方に顔を向ける。
美紗は、何かごまかせるようなセリフを必死に探した。吉谷と大須賀の向こう側を、グレーのワンピースが歩き過ぎるのが見えた。
そのまま女子更衣室を出て行くと思われた八嶋は、しかし、ドアの所で急に意を決したように振り返った。
「部長を狙うとかランチ会とか、そういう話、止めてもらえますか。女は不真面目だって、陰口叩かれる原因になるじゃないですか。迷惑です」
大須賀がローズピンクの口をぽかんと開け、さしもの吉谷も唖然と固まる。
神経質そうな顔にあからさまな憎悪の色を滲ませた八嶋は、しんと静まった部屋の中に苦々しいため息をひとつ残し、ドアの向こうへ消えていった。
「な、何なのあれ? 超ヤな感じ!」
数秒の沈黙の後、大須賀が、女子更衣室の外にまで聞こえそうな大声を出した。
「私たちがうるさかったからじゃない?」
「うるさかったら、さっさと用事済ませて出てけばいいじゃない! あの人、1部の……、誰だっけ? あったまくる!」
なかなか横暴な口をきく大須賀は、いかにも八嶋とは合わなさそうだ。美紗が大須賀の問いに答えるべきか迷っていると、代わりに、吉谷が面倒くさそうに話した。
「事業企画課の八嶋さん。渉外班だから、あまり地域担当部とは縁がないよね」
吉谷は、あらゆる分野の「情報収集」にそつがないのか、人事とは無関係の仕事に携わっているにも関わらず、美紗と同世代の八嶋香織のことをかなり細かく知っていた。
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