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「うちのマスターうるさいんですよ。髪の色はダークブラウンまで、カラコンは不可だって」
口うるさい親のことを愚痴る高校生のような口調に、美紗は思わず笑みを浮かべた。カウンターの中にいるマスターに店の一番奥のテーブル席での会話が聞こえるはずはなかったが、口を尖らせている征のために、話題を変えることにした。
ストローでレモンの皮をつつきながら、彼が得意そうな質問をしてみた。
「このホーセズネックにも、カクテル言葉はあるんですか?」
「ありますよ。『運命』です」
そう言って、征は藍色の目をくるりと動かした。
「運命って言われても、僕にはピンとこないですけど。鈴置さんは、そういうのを感じた経験、あります?」
そこに、詮索めいた顔はなかった。美紗は、つられるように何か言いかけて、口を閉じた。
あの人と偶然出会い、偶然起こったいくつかの出来事がきっかけで、二人でこの店に来るようになった。それを運命と表現することに抵抗感はない。しかし、その後の展開がすでに運命として決められていたとは、思いたくない。
そんなことを、つい先ほど初めて言葉を交わしたばかりの若いバーテンダーに話して良いものか、判断がつかなかった。
美紗は返事に困って視線を泳がせた。聞いて楽しくもない話をしても、相手は迷惑なばかりだろう。美紗にとって初対面に等しい彼は、しかし、おそらく最期の話し相手になるような気もする。
ここですべてを吐き出していけばいい
まだ若い人生を終わらせる運命を、あっさり受け入れる前に
征のようでありながら、それでいて全くの別人のような、妙に抑揚を欠いた低めの声が、ぼんやりと聞こえた。
美紗が驚いて征を凝視すると、彼は再び、急に洗練された大人の顔で、黙って美紗を見つめていた。その唇は確かに動いていなかった。
美紗は漠然とした不安感を覚えつつ、平静を装って聞いた。
「今……何か、言いました?」
「運命を感じたことありますか、って。……すいません。変なこと聞いちゃいましたね」
成熟した男の顔が、すうっと青年と少年の間のような表情に変わり、照れくさそうに笑う。
美紗は、二、三度、瞬きをした。少し酔っちゃったのかな、と思いながら、黄色いレモンの皮が入ったグラスに目をやると、にわかに二年半ほど昔のことが鮮やかに思い出された。
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