746人が本棚に入れています
本棚に追加
気のせいか、吉谷綾子と日垣が以前より頻繁に話をしているように感じる。
「直轄ジマ」の自席に座っている時、廊下を歩いている時、ふと彼の声が聞こえ、そっと辺りを見まわすと、事務所の隅のほうで、ある時は階段の入り口で、二人が立ち話をしている。真面目な顔で、しかし、声を落とし、顔を近づけて語り合っている。
二人とも既婚だ。それぞれに家族を大事にしている。信頼できる仕事上のパートナー同士として、接しているだけだ。
そう分かっているのに、心が乱れる。
メンターと慕っていた吉谷に嫉妬しても意味がない。
そう分かっているのに、心が疼く。
想いは口にしないと決めたのだから、日垣が誰と何をしようと、彼の自由だ。
そう分かっているのに、焦燥の念に苛まれる。
梅雨が明けると、都会の街は連日、耐えがたいほどの日差しに照りつけられた。しかし、美紗の心は厚い雲に覆われたままだった。
あの青い光の海を見てから、いつもの店に、行けなくなった。
いつもの席で、いつものように、日垣貴仁と差し向かいに座ったら、自分の決意を守っていられるか、自信がなかった。
あの人の柔らかな笑顔を前にして、自分を抑えていられるか、不安だった。
会いたいのに、会うのが、怖い
怯えた心を抱えたまま、週末がまたひとつ、過ぎていく……。
最初のコメントを投稿しよう!