5-9 新たな女 

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 5-9 新たな女 

 その週の木曜日の夕方、東南アジア全域の情勢分析を担う第5部のミーティングに顔を出した美紗は、会議が終わった後も、所属部の専門官たちとしばらく話し込んだ。  年度初めに第5部を一人で担当するようになってから四カ月以上が経ち、調整先との人間関係もそれなりにできていた。  所掌範囲を勉強中の美紗に、第5部の人間は快く専門分野の知識を教えてくれる。その見返りに、美紗の側は、第1部で仕入れた人事の噂や事業計画に関わる情報を「オフレコ」で提供した。  そのような「持ちつ持たれつ」のやり方を教えてくれたのは、第1部長の日垣貴仁だった。 2fd4e1b6-685c-4924-9062-8dc0e9d16ef5  美紗がようやく調整先を後にしたのは、六時も過ぎてからだった。一つ上の階にある第1部に戻ろうと階段を上がってきたところで、頭上から、やや甲高い女の声が聞こえてきた。 「どうして私じゃダメなんですか」  ひどく感情的な物言いに、反射的に足が止まる。  あまり聞きなれない声。吉谷綾子ではない。すべてにおいて洗練されている大先輩は、間違っても、職場で声を張り上げるようなことはしない。 「……そういう問題じゃない。今回は――だ。君は何か誤解……」  相手の男の言葉は、低くくぐもっていて明瞭には聞こえない。しかし、声の主が日垣貴仁であることは分かる。 「年が若いからですか? 経験がないから? それで、ダメだって言われるんですか?」  若そうな声が、1等空佐を相手に、無遠慮にまくしたてている。  美紗は、足音を立てないように、残りの階段をそっと上り、エレベーターホールにつながる階段出口にたどり着くと、そこからわずかに顔を出した。  人気のない廊下で、地味な紺色のワンピースにカーディガンを羽織った女が、日垣の行く手を遮るように立っていた。  八嶋香織だ。  美紗は息を飲んで、壁際に身を隠した。  以前、吉谷や大須賀に啖呵を切った八嶋が、日垣に何か抗議している。日垣のほうも言葉を返すが、女の声ばかりがエレベーターホールに反響し、会話の流れはあまりつかめない。
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