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「お相手が年上の方なら、その方に甘えてしまえばよろしいではありませんか」
意外な言葉に、美紗は思わず涙顔を上げた。
黒髪をオールバックにしたバーテンダーは、ブルーラグーンの解説をしていた時とはうって変わって、ひどく優しげな笑みを浮かべていた。
冷淡な印象だったはずの目が、柔らかい光に満ちている。頭上のペンダントライトの灯りのせいなのか、その瞳がなぜか、カクテルの色と同じような藍色に見える。
「人と人との関係のあり方は、千差万別です。どこまで許されて、どこから禁じられるのか、その線引きも、人によって様々です。お若い貴女には、それが不誠実に感じられるかもしれませんが」
美紗は、藍色の瞳を見つめたまま、黙っていた。既婚の日垣貴仁がいつもの席で自分と向かい合うことは、不誠実なのだろうか。
そうすることになったきっかけは、社会的倫理を云々する範疇の外にあったと信じている。彼は、気の弱い部下に一時的に手を差し伸べただけだ。美紗に帰る場所がないことを知り、ささやかな安らぎの空間を提供しただけだ。美紗の想いを知らない彼にとって、その行為は誠実の範囲内にあるのだろう。
しかし、八嶋香織という女が登場したことで、彼の「線引き」の位置はどう変わるのか……。
「人生経験の豊かな人は、身の振り方も、引き際も、心得ています。良識のある者なら、相手を尊重することも忘れないでしょう。互いの許容の範囲を超えないよう心を配り、至らない若い相手を傷つけることなく諫め、適切に導いていくことができるものです」
淀みなく語るバーテンダーの声は、いつの間にか、不思議な温かみに溢れていた。その口調に、美紗は覚えがあった。確信に満ちていながら、控えめで落ち着いた話し方が、少しだけ、あの人に似ている……。
「貴女は、そのお方の『一番の存在』になることを望んでおられるのですか?」
美紗は、透き通った青いカクテルに目を落とした。そして、「いいえ」と答えた。
一番には、決してなり得ない。それは、八嶋香織も同じだろう。
八嶋のように、決して手に入らないものを無理矢理に得ようともがくより、あの人の優しい笑顔を遠くから見ているだけのほうがいい。
「貴女のお相手が、疑う余地なく信頼に値するお人だとお思いなら、その方の価値観に、ご自身を委ねてみてはいかがですか」
「委ねるって、でも、どうやって……」
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