2-2 噂のカウンターパート 

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  「その科長、知っています。自分の同期が一緒に勤務したことあるそうなんですが、かなり()()()()の人物だと言っていました。(シー)(ジー)(エス)は出たそうですが……」  そこまで話して、松永は少し声を落とした。  指揮(しき)幕僚(ばくりょう)課程、略して陸自では「CGS」、海自と空自では「(シー)(エス)」と呼ばれるそれは、自衛隊の教育課程の一つで、上級指揮官養成を目的とした、いわば出世の登竜門のようなものである。選抜試験を経てこの課程を修了した人間は、通常は、将官を目指すエリート幹部として、出世の階段を上がることになっている。 「……その後、部下の不祥事だか事故だかで、結局、その科長はさほど昇進できなかったらしいんですよ。それをひがんでるんだか、若手を育てることに全く興味を示さなかったと、同期は嘆いていました」 「いわゆる『定年ポスト』にいる奴だな」  比留川は、その丸い顔に露骨に不快そうな表情を浮かべると、美紗のほうをちらりと見ながら、部下の話を引き継いだ。 「どうせ()もないし、上から文句言われても、もう関係ないってことで、ますます好き勝手やりやがる」  比留川の言う「定年ポスト」とは、幹部自衛官を養成するための専門教育機関である防衛大学校を卒業しながらさほど出世せずに退官する予定の人間が慣例的に配置される、「現役最後のポスト」を意味する。そこに就く者の中には、管理者としての素質に著しく欠ける人間も少なくなかった。  陸と海の二人の幹部のドロ臭い話に相槌を打った第1部長は、和やかな表情のまま、美紗のほうに歩み寄った。水色の長袖シャツの肩に1等(いっとう)空佐(くうさ)の階級が付いていた。  彼は美紗の名札を確認すると、 「鈴置さん、か。時々、部内資料に翻訳情報を載せているね?」  と、静かな声で尋ねた。  美紗の所属する業務支援隊は、定期的に翻訳資料を作成し、防衛省内の所定の部署に配布していた。各資料には、配布先からの問い合わせを容易にするため、常に作成者名が明記されていた。 「なかなか綺麗な翻訳文を書くものだと感心していたんだ」  四十代半ばらしい第1部長はにこやかに笑った。てっきり非難がましいことを言われるのだろうと身構えていた美紗は、驚いて返事をするのも忘れてしまった。 「少し時間ある? ちょっとうちの連中と話していったらどうかな。くだらない雑談でもして人間関係を作るのも、調整業務のひとつだよ」  彼は美紗に優しげに話しかけると、「直轄ジマ」で末席に座るチーム最年少らしい航空自衛官に目配せをした。  同じ空自でも半袖シャツのラフな夏服を着る若い彼は、素早く席を立つと、近くの窓際に無造作に置いてあった折りたたみ式のパイプ椅子を一つ持って戻ってきた。  場にいる面々に促され、美紗はシマの端に広げられた椅子に恐る恐る腰かけた。それを見届けた第1部長は、太めの直轄班長とイガグリ頭の先任を連れて、部長室に戻っていってしまった。      ******
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