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「確かに日垣さん、見るからに優しそうな感じですもんね」
征は、見かけなくなって久しい常連客を懐かしむように、言葉を漏らした。
「お仕事中は厳しかったんですよ。でも、いろんなところで気遣ってくれました。私だけじゃなくて、チームの人たち全員のことも」
忙しい直轄チームのメンバーが嬉々として働いていた要因のひとつには、あの人の人柄もあったのだろう。美紗は、今更ながらそう思った。
自分も、あの人の下で勤務できるという、ただそれだけのことに、喜びを感じていたから……。
「いいところで働けるようになって良かったですね」
自分のことのように嬉しそうに話す征に、美紗は「ええ」と返し、にわかに顔を曇らせた。
確かに、征の言う通りだった。
それが、どうしてこんな終わり方になってしまったのだろう。
若いバーテンダーの明るい笑顔に見つめられるのが辛くて、美紗は、レモンの皮だけになったコリンズグラスに視線を落とした。
みずみずしい黄色の「馬の首」は、まだ爽やかな香りを放っていた。
「ミリタリー関係の人って、何か大声で怒鳴ってるようなイメージだけど、日垣さんはどうなんですか? やっぱり仕事中は怒鳴ったりして怖いのかなあ」
征は、客の様子には全くお構いなしで、自分の興味を追及した。その屈託のない物言いは、美紗が陰鬱に沈むのを許してくれそうになかった。
「……どちらかというと、淡々と怒ることが多かったと思います。あ、でも、上の人と派手に喧嘩したこともあったって……」
「ホントに? 信じられないなあ。日垣さんて静かに飲んでるイメージしかないから」
征は、殴り合いのシーンでも想像したのか、前髪を揺らして楽しそうに笑った。そして、やや声を小さくすると、
「鈴置さんも怒られたことあるんですか?」
と、遠慮がちに聞いた。
美紗は、恥ずかしそうに「たくさんありますよ」と答えた。
手厳しい指導は何度も受けた。しかし、あの人から大声で怒鳴られたことはたった一度だけだ。今思えば、その時の一連の出来事がすべての始まりとなったような気がする。
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