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「距離が近かったせいか、とにかくみんな遠慮が無かったように見えました。よく考えると、変ですよね」
美紗は、その当時の幹部たちの滑稽なやり取りを思い出し、懐かしそうに微笑んだ。頭上のアンティークなペンダントライトが、穏やかな、しかし寂しげな顔に、柔らかな光を落とす。
「日垣さん、なんでも許しちゃう感じですもんね」
征も藍色の目に同じ光を映しながら、静かに相槌を打った。そして、急に思いついたように、身を乗り出して尋ねた。
「じゃあ、もし、日垣さんが『中央勤務』じゃないところにいったら? 超エラい人?」
「私は一般部隊で働いた経験がないのでよく分からないんですが、チームにいた人の話では、日垣さんは、部隊にいれば小さな基地の司令相当だって……」
「司令官? へええ、カッコイイ!」
征は腰を浮かすと、興奮した声を上げた。戦闘機の飛び交うミリタリー映画でも連想したのだろう。若いバーテンダーは、昔の常連客を頭の中で勝手に厳めしい司令官役に変身させ、独りよがりな妄想をひとしきり語った。
そしてようやく、美紗の前に置いてあるコリンズグラスが空になっているのに気付いた。
「あ、すいません。つい、面白くて。もう少し飲まれます?」
征は、メニューを開いて、美紗に見せた。
「じゃあ、今度は甘めのものを」
躊躇なく言ってしまってから、美紗は自分自身の言動に驚いた。支払いができないのに、それを分かっていてオーダーを頼んでしまった。
慌てて取り消そうとしたが、征はそれより早く、「かしこまりました」と言って、カウンターのほうに行ってしまった。
一人、席に残された美紗は、課業時間中ですら騒々しかった職場のことを思い出した。
自分より数歳年上の片桐は、特に口数が多く、プライベートなことでも全く構わず喋っていた。当時の美紗が抱えていたものと同じような悩みも、やはり隠すことなく愚痴っていた。
その彼も、大きな試練を乗り越え、昨年度末に転属していった。
新たな勤務地で切磋琢磨しているであろう彼が、もし今の自分の姿を見たら、何と言うだろう……。
「お待たせしました」
征の声が美紗の回想を途切れさせた。
征は、ボウル部分が逆円錐形の形をした小さなカクテルグラスを、トレイからテーブルの上に移した。中に入っている深い紅褐色の液体が、店のシックな空間と美しく調和していた。
「これはハンターというカクテルです。チェリーブランデーが入っているので甘いですけど、結構強いですよ」
グラスに口を付けると、フルーティな香りと共に、ウイスキーのコクのある味が、舌の両横をすり抜け、のどの奥へと落ちていった。美紗は、その一口をゆっくりと味わい、小さく息を吐いた。
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