3-7 スパイ嫌疑 

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86587311-fbc5-4fab-9ca1-62ae5a3d9e6a  次の日、美紗は自席でぼんやりと座っていた。周囲は、頻繁に鳴る電話の呼出音や人の話し声で、ひどく騒々しかった。  いつもの「直轄ジマ」の光景が、なぜか異様に感じられた。慌ただしい時間の流れから、自分ひとりだけが切り離されたように感じる。  シマの誰かが何か言っているが、早すぎて聞き取れない。 「聞いてるのか、鈴置!」  大声で名前を呼ばれ、美紗はやっと声のするほうへ振り向いた。背後に先任の松永が立っていた。 「5部がよこしてきたペーパーは、チェック終わったのか!」  キーボードの上に置かれた美紗の手は、しばらく前から完全に止まっていた。昼過ぎに頼まれた単純な作業が、二時間経っても半分ほどしか終わっていない。 「すみません、まだ……」  美紗は生気のない顔で呟くように答えた。  前日に統合情報局のデータベースからロックアウトされていた美紗のIDは、朝から使えるようになっていた。しかし、それでスパイ嫌疑が晴れたことになるのかは分からなかった。第1部長の日垣が、別の思惑でアクセスを許したということも考えられる。  当の日垣からは、まだ何の話もなかった。自分はやはり信用されていないのだろうか。上官に疑われたまま、これからずっと勤務することになるのだろうか。  美紗の頭の中はそんな思いに占領され、とてもパソコン画面に表示される文書を読むどころではなかった。 「何やってんだ。内容が情報要求に合ってるか見て、表記を統一するだけだろ。9部の報告書と合わせて、今日中に海幕(かいばく)(海上幕僚(ばくりょう)監部(かんぶ))に出さなきゃならないんだぞ。すり合わせする時間がなくなるだろうが」  松永は苛立ちも露わに声を荒げた。美紗は何か言いかけて、下を向いた。  口は荒いが面倒見のいい松永は、きっと自分の話を親身に聞いてくれるだろう。しかし、他言無用を命じた第1部長の鋭い目を思い出すと、声が出ない。
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