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「あの時計、彼氏からのプレゼントだったんだとみるね。それが、昨日の夜に別れ話になったんで、今日は外してきた。昨日、彼女は珍しく定時帰りだったんでしょ。それなら、仕事帰りに彼氏と会っていたっておかしくない。ま、会わないで電話だけだったって可能性もありますけど。会うか話すかして、別れ話になった可能性が大かな、と……」
片桐はがぜん目を輝かせた。他人の浮いた話には目がないらしい。
一方、先任の松永は渋い顔で腕を組み、天井を見上げた。仕事の面倒を見てやっているとはいえ、女性職員のプライベートな問題には、さすがに安易には立ち入れない。
「じゃあ近々、あいつの愚痴を聞く会でも開くか。暗い酒になりそうだが」
比留川がふざけてしかめっ面をすると、松永を除く四人のメンバーは無遠慮な笑い声を上げた。
悪ノリが過ぎる「直轄ジマ」の手綱を締めるのは、いつもはチーム最年長の高峰3等陸佐の役どころだったが、彼は前日に引き続き、今日も欠勤だった。
美紗は、自分が雑談のネタにされているのも気付かず、第1部長室の入り口に立ち尽くしていた。
ドアが半開きになっているのは、部屋の主が在室していることを意味している。しかし、松永に持たされた書類を届けるだけのことが、理由もなく怖くて、ドアをノックできない。
「ああ、鈴置さん。何?」
美紗の姿に気付いた日垣が、先に声をかけた。聞きなれた物静かな口調だった。美紗が、「入ります」と挨拶して部屋の中を覗くと、大きな執務机の向こうに、見慣れた優しげな顔があった。
前日の彼とはあまりにも違う姿が、美紗をひどく動揺させた。
「あの、……故意じゃ、ないんです」
無意識のうちに、そんな言葉を漏らしていた。
「本当に、出そびれただけなんです」
「何の話?」
日垣は静かな笑顔のまま応じた。それが、白々しくも、空恐ろしくも感じる。
「落としたものを探していたら、人が入ってきたのに気が付かなくて……」
「昨日、私が言ったことを覚えてるか」
上官の声が急に低くなる。しかし美紗は、自分が何をしに来たのかも忘れて話し続けた。
「すぐ出ようと思ったんですけど、日垣1佐のお話が始まってしまって、キリがつくのを待っていたら、相手国側の出席者の中にCI……」
「鈴置さん!」
日垣は席を立ち、大股で美紗に歩み寄った。柔らかだった眼差しが、いつのまにか射貫くような鋭い目に変わっていた。美紗は息を飲み、悲痛な声を出した。
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