3-7 スパイ嫌疑 

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  「そこで何してる! 早く行きなさい!」  普段はまず大声など出すことのない日垣の怒鳴り声に、広い第1部の部屋全体がしんと静まり返った。  びくっと身を震わせた美紗は、やがて、身を翻してドアの裏側へと消えた。自動ロックのかかる音だけが、部屋の中に無機質に響いた。 「こっわあ……。何で?」  ぽかんと口を開けて日垣のほうを見た片桐は、1等空佐の階級を付けた彼に鋭く睨みつけられ、慌てて目を伏せた。  一方、松永は憮然とした顔で振り返ると、険しい顔をした上官の前に歩み寄った。日垣より十センチほど背の低い松永は、しかし、がっちりした体格にイガグリ頭という風貌のせいか、妙に荒々しい雰囲気に満ちていた。 「日垣1佐、鈴置が何かやらかしましたか」 「松永。今、急ぎの話してんだ」  危うい気配を察した比留川が止めに入っても、松永はそれを無視して続けた。 「問題があれば、まず自分に話を入れてください。鈴置の指導役は自分ですから」  丁寧な言葉遣いの中に、遠慮のない怒気が含まれる。  日垣は「分かった」と吐き捨てるように言うと、松永の前に立ちはだかる比留川に何か一言二言指示した後、足早に部長室に消えた。  普段うるさい「直轄ジマ」は、その後は夕方まで静かだった。  美紗は、医務室が入る棟の入口付近にある懇談スペースに、一人ぽつんと座っていた。医務室の前まで行ったものの、受付に何と事情を説明すればいいか適当な言い訳も思いつかず、結局、中に入ることもできなかった。  胸が締め付けられるような息苦しさに苛まれた。第1部長に疑われたまま、それを隠して仕事を続けることなど、とても耐えられそうにない。かと言って、自分の不注意が露見すればどんな騒動に発展するのかと思うと、恐ろしくてたまらなかった。 「医務室で休んでなかったのか」  すぐ後ろから低く抑えた声が聞こえた。美紗がはっと振り返ると、濃紺の制服を着た人影が、背中合わせに座っていた。 「大きな声じゃ言えないが、軍の情報機関同士の交流という枠組みの中に、ああいう極秘会議を挟むことも時々ある。そういったことを承知でうちに来たんじゃないのか」  日垣の問いに、美紗はただ首を横に振って答えた。喉がカラカラに乾いて、声が出なかった。  組織の名称から抱くイメージは、所詮はフィクションの世界が作り出したものに過ぎないと思っていた。統合情報局の仕事にもそこに勤める人間にも、本当に表と裏があるなどとは、想像もしていなかった。
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