3-8 嘘と偽りの世界 

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  「……過去の事例から言って、スパイ嫌疑をかけられるような保全問題を起こした者は、依願退職に追い込まれるケースが多い」  美紗は力が抜けたように目を伏せた。そんな事態を予想しなくはなかったが、現実に上官の口からその言葉を聞かされると、やはりショックは大きかった。失職後の不安を思う前に、無様で不名誉な辞め方をしなければならないことが、あまりに惨めだった。 「私としてもそれは不本意だ。もともと君は情報交換会議に関わる予定はなかったのに、実戦練習のいい機会だと安直に考えた私の判断ミスだ」  日垣の言葉は、ますます美紗を落ち込ませた。  冷遇されていた自分を統合情報局に引き抜いてくれた第1部長から名指しで任された小さな仕事は、美紗にとっては大きな第一歩となるはずだった。それが、完全に彼の期待を裏切る結果になった。使えないどころか、はた迷惑な存在になってしまった。 「そうしょげるな。同じ失敗を繰り返さなければいいことだろう」 「でも、私はもう……」 「保全関係のところに話を入れるつもりはない。今回のことは、とりあえず何もなかったことにする」  美紗は顔を上げると、目をしばたたかせて日垣を見た。 「組織を害する者がいないと分かれば十分だ。これ以上コトを面倒にする必要はない」  端正な顔立ちが、じわりと笑う。美紗を見返す目には、狡猾そうな光といたずらっぽい色が混じり合っていた。 「隠すんですか? そんなこと、大丈夫なんですか……」  美紗の声が震えた。偽ることをためらわない上官は、またひとつ、嘘を重ねるつもりなのか。  前日の階段踊り場での出来事が、脳裏に浮かんでは、消える。 「まだ油断はできないが、今のところ、今回の件は君と私しか知らないと思う。対テロ連絡準備室の連中は、昨日の時点では、何も言っていなかった。比留川が高峰の欠席をロジ担当に連絡し忘れてくれたおかげで、会議場付近に待機していた事業企画課の連中も、君の行動については承知していなかったようだし……。米国の『お客』が気付いたかどうかだけが、気がかりなところだが」  日垣は、テーブルに両肘を付き、美紗のほうに顔を寄せた。 「正直言って、この件が公になったら、私も困るんだ。まだクリアランスが下りていない君を海外機関との会合に参加させたという時点で、間違いなく物議を醸す。こちらとしては、三か月もかかる照会作業が終わるまで、当人を遊ばせておくわけにもいかないのにな」  妙に耳に心地よい低い声でささやく日垣の顔には、動揺する様子など微塵もなかった。彼にとっては、保身のために事案を一つもみ消すことなど、造作もないことなのかもしれない。  しかし、社会人になってわずか三年目の美紗には、それがひどく危ういことのように感じられた。
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