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「すみません。そんな事情があったなんて全然知らなくて……」
「知らせるわけにはいかなかったしね」
すっかり意気消沈した美紗に、日垣はクスリと笑いかけ、そして、急に真顔になった。
「ちゃんと聞いてるじゃないか。あの状況で」
切れ長の目が、すっと鋭くなる。
「君がテーブルの下に隠れている時に、『お客』と私たちが話していた内容だよ。統合情報局が国内治安の問題に関わる話」
日垣は、また右手で髪をかき上げると、少し意地悪そうに口角を上げた。
「昼間は確か『話の中身はほとんど聞いていない』というようなことを言っていたように記憶しているが? これは完全に騙されたかな。君のほうが私より一枚上手らしいね。うっかり全部喋ってしまった」
美紗は、はっと口元を押さえた。しばらく固まったあと、急にガクガクと震え出した。
一方の日垣は、声を立てて笑った。言い訳の言葉を探すのも忘れている美紗を見る眼差しは、優しげな色に戻っていた。
「もし情報保全隊を相手にそういう発言をしたら、一巻の終わりだ。後で部内調査が入る可能性はまだ残っているんだから、気を付けてもらわないと」
美紗は、顔面蒼白になって何度も謝った。これから、互いの進退に関わる秘密を、目の前に座る男と共有することになる。自分はその重圧を抱えきれるのか。新たな不安が足元から這い上る。
両手で顔を覆う美紗を、日垣はしばし見つめた。低くくぐもった声が、震える黒髪を静かに撫でた。
「私のほうこそ……、君に謝らなければ」
美紗の目の前に、透明な袋に入ったブレスレット型の時計が置かれた。華奢なデザインのチェーンベルトに、色のついた小さなガラス玉がいくつか付いている。
よく見ると、留め具の部分が壊れていた。
「この時計にも細工がないか確かめたくて、無理やり外したら、壊してしまった。修理できるといいんだが」
美紗は、大学時代から使っている安物の時計を、不思議そうに見つめた。前日、左腕にしていたはずの腕時計が無いことに気付いたのは、自宅に帰り着いてからだった。どこで失くしたのか、そんなことを気にかける余裕もなかった。
「これが何らかの記録装置を内蔵した『小道具』だったら、取り上げれば、大抵の持ち主はそれなりの反応を示すものだ。しかし、君は無反応だった」
不審な物を身に付けていないか調べた時に腕時計を引き抜いた、そう言って、日垣はふと話すのを止めた。
壊れた時計を指し示す、大きな骨太い手。
それを、美紗は身じろぎもせずにじっと見つめていた。思い出したくない感触の記憶が、身体を凍り付かせる。
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