3-8 嘘と偽りの世界 

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       ****** 「この席で、すごい話をしていたんですね…」  征は上ずったかすれ声を出した。丸い藍色の目がますます大きく見開かれ、まじまじと美紗を見る。  美紗は、適当な相槌も思いつかず、征の視線を避けるように、窓の外に広がる夜景を見た。  あの時と、同じ景色が広がっている。十五階にあるバーで誰がどんな話をしていようが、都会の街は、無機質に光るばかりだ。  自分がもっと気丈な人間だったら、あの人に余計な気遣いをさせずに済んだのかもしれない。  あの後、この店に来ることがなければ、共通の秘密を抱えた二人は、それ以上交わることなく、それぞれの人生を歩んでいったのかもしれない――。  夜の街明かりに浮かぶ追憶を、険のある声が遮った。 「そんな大事なことを、僕なんかに軽々しくしゃべっていいのですか?」  美紗は、はっと目の前に座る人間を凝視した。先ほどまで冷や汗でもかいていそうな顔で話を聞いていたはずのバーテンダーは、眼光鋭く美紗を睨んでいた。 「今のあなたにとっては、もうどうでもいいこと、ですか? でも、さっきの話が表に出たら、二年半前のこととはいえ、日垣さんにも迷惑がかかりそうですね。もし、僕が公安かマスコミ関係者と知り合いだったら、どうなると思います?」  バーテンダーは、薄ら笑いを浮かべて立ち上がった。 「さ、篠野さん?」 「どうしました? 新しいお飲み物をお持ちしようと思っただけですよ」  アンティークな照明の暗い光の下で、征は、意地悪そうな顔で美紗を見下ろした。黒いエプロンのポケットからわずかに見える薄い長方形のものに、手を当てているのが見えた。 「篠野さん! 待って!」  美紗は慌てて席を立とうとした。しかし、征の方が一歩早くテーブルに手をつき、美紗に覆いかぶさるように顔を寄せて、その動きを封じた。 「ここでお待ちください。すぐにお持ちしますから」
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