4-3 二度目の会合 

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  「そうだ。彼女のような役割の人間は海外にたくさんいる。ただ、教えるといっても、普段は定期的に簡単なレポートを書いてもらうくらいで、報酬もわずかだ。金銭とは別に、大使館からは、現地政府とのコネがないと得られない治安情報を、支障のない範囲で出してやる。そうやって、お互い持ちつ持たれつでやっているのさ」  国外に出たことすらない美紗に、吉谷の経験した世界を想像することは難しかった。分かるのは、彼女が子供の誕生を機にあっさり手放した過去のキャリアが、予想以上に専門性に富んでいたらしいということぐらいだ。 「吉谷女史は、貿易関係の仕事をしていたこともあって、特に現地での人脈が広かったらしい。機転も聞く人で、いいネタを仕入れると彼女のほうから大使館の担当者に連絡を入れてくれたそうだ。分析力も洞察力も優れていると、大使館側ではずいぶん重宝していたと聞いている。統()()局でも、8部にいた頃は、欧州関係の専門官としてまさに『君臨』してたな」  そこまで言って、日垣は何か思い出したように、クスリと笑った。 「吉谷さんと一緒にいらしたことがあるんですか?」 「半年ほどの間だけだったけどね。(ぼう)(ちゅう)(かん)(防衛駐在官)として東欧に赴任する前に、現地の勉強をしろということで、8部に席を用意してもらったんだが、吉谷女史はとにかくやり手で、私も他の佐官連中もほとんど彼女の言いなりに使われていたよ」  日垣が防衛駐在官の命を受けて東欧某国に赴いたのは、五年半ほど前になる。その直前に第8部で勤務していた当時の彼は、四十手前のはずだ。彼より四、五歳ほど年下の吉谷は、三十代半ばまでには、ベテラン勢にも一目置かれる地位を確立していたことになる。 「吉谷さん、本当にすごいんですね。……でも、良かった。怖い人じゃなくて」  美紗は、心底ほっとしたように顔を緩ませた。元からの童顔が、さらに柔らかな幼顔になった。 「怖い? まあ、彼女はいろんな意味で隙がないから、一見……」  日垣はしばし怪訝な顔をすると、思いついたように鞄から携帯端末を取り出し、鈴置美紗宛てのメールの文言を表示した。 『Y女史との接触には気をつけてください』 「うん、確かに……。この文面じゃ、いかにも彼女が敵性スパイみたいだな」  日垣は苦笑いしながら右手を髪にやった。申し訳なさそうに目を伏せて何度も髪をかき上げる仕草は、冷静沈着と評される職場での彼の印象とは、ずいぶん違っていた。  混んだ店内のさざめきの中から、「お食事をお持ちいたしました」と言う落ち着いた声が聞こえてきた。  マスターと、マスターの半分ほどの年齢のバーテンダーが、二人分の平膳をゆっくりとテーブルの上に置いた。  黒い木目が美しい大きな膳の上に載る料理は、オーセンティックバーにはおよそ不釣り合いな、天ぷらの盛り合わせに小鉢がいくつかと白米味噌汁、という和食だった。
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