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「いえ、そんな、違うんです。松永3佐は……」
続きの言葉が見つからず狼狽する美紗に、日垣は、「詳細は聞かないでおくよ」と返して小さく笑った。
「松永は、人当たりがいいとは言えないが、悪い人間じゃない。君への接し方が悪いと、私に文句言うくらいだからな」
「松永2佐が、日垣1佐に、ですか?」
きょとんとする美紗に、日垣はやや気まずそうに頷いた。
「確か、例の会議の次の日だ。君の様子がおかしかったから医務室に行かせようとしたんだが、松永に気付かれそうで、つい焦って大きな声を出してしまった」
美紗は、沈痛の色を浮かべて下を向いた。あの時、日垣に怒鳴られたことは、はっきりと覚えている。
大声に押し出されるように第1部の部屋を出た後、日垣と松永の間にどんなやり取りがあったのか、チームの誰からも特に聞かされてはいない。それでも、松永が無骨なやり方で自分を守ってくれようとしたことは、容易に想像できた。
ここ最近も、美紗が些細なミスをして調整先から苦情が来るたびに、彼は先方にせっせと頭を下げていた。
「私のせいです。私が松永3佐の立場を悪くしてばかりで……」
「いや、あれは私も反省している。不用意に怒鳴るなど、指揮官職に就く者の言動じゃない」
日垣は静かに詫びた。温かなペンダントライトの灯りの下で、誠実な眼差しが美紗を真っすぐに見ていた。
「私もまだまだ未熟だ。この年になるとメンターが減ってくるのが辛いところでね」
1等空佐の中でも将官への昇進がさほど遠くない位置にいる日垣には、もはや、安心して頼れる人間がなかなかいないのだろう。若い頃の彼を導いた「大先輩」たちの多くは、すでに現役を引退してしまっている。
「メンターは、できるだけ早く見つけたほうがいい。吉谷女史はきっと、快く君のメンターになってくれると思う」
そこで日垣は言葉を切り、声を落とした。
「ただ、この間の会議の件と、対テロ連絡準備室に関わることだけは、彼女にも気取られないようにしてほしい。尊敬する相手を面倒事に巻き込みたいとは思わないだろう?」
美紗は神妙な顔で頷いた。吉谷に不利益を負わせるような真似は、決してできない。
「あと数週間待って、どこからも何も言われなければ、取りあえず一安心だ。それまではやはり落ち着かないだろうが……。この件のカタがつくまでは、私で良ければ、いつでも君のメンターになるよ」
耳に心地よい低い声に、美紗は安堵の笑みを見せた。少し目を潤ませたはかなげな顔を、日垣はしばし見つめ、そして、心なしか照れくさそうに眼を伏せた。
美紗が食事を終える頃、日垣は、マスターが置いて行ったカクテルメニューを広げた。
「今日はもう遅いから、一杯しか飲めないな。何がいい?」
少し迷って、美紗はやはり、マティーニを指さした。
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