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あまりのショックに暫く声が出なかった。
もしかして、選手復帰を断念したのは、人知れず実家の窮地に何とかお金を稼ごうとしたからなのか?
なのに、お店が人手に渡ったなんて、どれだけ悔しかっただろうか。
怪我さえしなければ、いくらだって親の援助ができたろうに……
空いた口を手で押さえ、声の震えを気付かれないように、頑張って明るく話すように努力したが、多分、無理だっただろう。
「そんなことに………
先輩の親父さんがラーメン屋さんだなんて知らなかった……
……入院って、大丈夫なんですか親父さん」
「はは、悪いな。
……親父は……多分もう退院は無理だと思う。
母親も、そんな訳で店を諦めたんだよ。親父には内緒でな……」
「そんな……」
どんな思いでラーメンを作っているんだろう。
先輩の手が、茹で上がった麺を勢いよく湯切りして丼にそっと入れ、麺の上に煮卵とチャーシュー、ネギにメンマを器用に載せる……
流れるように動くその手をどうしても目が追いかける。
先輩が入院費とかのお金を工面してるんだろうか?
屋台のラーメンは、稼げるんだろうか?
それとも別の理由……親父さんに自分のラーメンを食べさせて、安心させるために作っているんだろうか?『店は俺がやってるから、治療に専念しろよ』とか……
きっと、他にもバイトをしてるに違いないが……
先輩にそれ以上その話を聞くことは、あまりに無神経に思えてできなかった。
「ホイ、お待ちっ!」
トンと、目の前に湯気を立てたラーメン丼が置かれた。
割箸を割って麺を掬いふーふーしながら口に運ぶと、麺とスープの温かさが冷えた体に染み渡っていく。
「う…ん、美味い…美味いです。
本当に作れたんですねぇー」
ラーメンを啜りながら、鼻水も啜るのは、寒いときには避けられない事だ。開き直って盛大に鼻を啜る。
先輩がビールと灰皿を持って来て隣にやって来て、左腕に感じる先輩の気配に、高校時代、良く行ったラーメン屋の記憶が蘇る。
「先輩とよくラーメン屋に行きました……
あれ、先輩のうちだったんですか?」
「いや、あの頃、親父とそりが合わなくて、喧嘩ばかりしてたからな、違う店だよ」
ポツンとそうこぼした言葉が寂しそうで、また盛大に麺と一緒に鼻水を啜った。
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