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「へいへい。ほら、行くぞ。奈緒」 返事をしたのに、彼は一向に離れる 気配は無く、そのままの体勢で私を 押して歩き始めた。 「やだ、亮さん、危ないって」 つんのめりそうになりながら、ヨタヨタと 前に進む。 「おめーはホント、奈緒ちゃんのこと 好きだな。彼女困ってんぞ、放してやれよ。 んじゃ、明日試合会場でな。遅れるなよ」 広瀬さんが苦笑しながら、手を振って 行ってしまった。 「私達も帰ろう。お腹空いたでしょ?」 「ああ、そうだな。なんか食ってくか?」 亮輔さん自身も歩きにくかったとみえ、 わたしを解放すると、今度は肩を抱いて 歩き出す。 「あのね、今日は家で食べよ? 今朝仕込んで来たの。後は仕上げを するだけだから」 「へえ、朝からそんな暇、よくあったな。 何作ったんだ?」 「ポトフ。寒くなってきたし」 「美味そう。じゃ、早く帰ろうぜ」 実は彼に美味しい物を食べさせたいと、 思い切って圧力鍋を買ったのだ。 強い味方を得て、亮輔さんのために朝から 頑張ったんだから。 喜ぶ亮さんと並んで、駐車場に行きかけた時、 「亮輔、ちょっと待って」 女性が彼の名を呼んだ。 「ヘッドコーチが呼んでるの。 ちょっと来てくれない?」 彼を呼び止めたのは、チームのマネージャーを 務める、佐竹明菜さん。 私はこの人がちょっと苦手だ。 クラブハウスに入らないのも、実は彼女と 会いたくないからだった。 以前から彼女には、亮輔さんを待っている 時に、暗に邪魔者扱いされたり、睨まれたり することがあったから。 私はどうも、彼女に嫌われているらしい。 亮輔さんがお世話になっているのだから、 仲良くはできなくても、せめて顔見知り 程度の友好さは保ちたいのに。 「なんだよ、明日で良いだろ」 「亮輔、コーチを怒らせないで」 もう一つ、彼女が苦手な理由がこれ。 私が未だに彼を呼び捨てしないのに、 彼女は当たり前のように、亮輔と呼ぶ。 彼女がそう呼ぶ度、心の奥がモヤッとする。 年上だし、チームの世話役だし、わたしは ラグビーに関して、明菜さんには敵わない。 だから、ヘタレな私はつい、彼女を避けて しまうのだ。
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