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(5)
一瞬、その声が聞こえた後、館内の空気が緊張したのを感じた。
グループの中の女の1人が言い返した。
「あたしたちだってぇー、お金払ってぇ、見に来てるんですけどォ。マジウゼぇ」
先程の声が言い返す。
「オレもみんなも、映画を楽しみたくて来たと思うんで。少しだけ、人から愛されるように、映画、観ませんか?」
ぱらぱらと2、3箇所で拍手が聞こえる。「そうだぞー」と言う野次も届く。
それきりグループの男女は押し黙ってしまった。
桜だけでなく、館内にいたほぼ全員が、溜飲を下げるのを感じた。
館内はその後不思議な一体感を伴い、映画が進んでいった。
穏やかな空気に包まれ、桜もスクリーンに集中していった。
それにしても、と桜は思った。
さっきの注意の声は……
それに……
どこかで、聞いたか、見たような詞だった。
“少しだけ、人から愛されるように、映画、観ませんか?”
――どこだったっけなあ……
どこかで憶えがあるように思うんだけど……
けれど、頭の隅でそれを気にかけるうち、映画が進むにつれ悩みも霧消していってしまった。
* * *
エンドロールが終わり館内が次第に明るくなると、桜はすぐに座席から腰を上げ、さっきの声のほうを見遣った。
視線の手前で、注意をされて静かになったグループがやや不満気に出口へ向かう姿が横切っていった。彼らの立ち去った座席の周りには食べ散らかしたポップコーンの欠片やポテトチップなど菓子類の袋、紙コップが散乱している。それを踏み散らかしながらグループは去っていった。
その奥に、座席からゆっくりと立ち上がるクラスメートの人影を、桜は捉えた。
――こんどは、声をかけよう。
名前を呼ぼう。
瞬間、桜の心臓は大きな音を立てて全身へ血を送り込んだ。
桜は、深く息を吸い込み、躊躇う躰に抗いながら声を絞り出した。
「―― 井崎くん!!」
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