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(1)
荻野桜が井崎幸生の姿に気付いたのは、館内が明るくなって座席から立ち上がろうとしたときだった。
映画が終わり出口へと群がる人の中に見たクラスメートの男子に、桜は少し戸惑い、思わず名前を呟いた。
「あ、井崎く、ん……?」
もちろんこのシネコンは地域でも中心的なショッピング・モールに併設されているので、顔見知りと鉢合わせる可能性も多い。
けれど、休日ならともかく、今日は木曜だ。学校が撥ねた後とはいえ、授業が終わって直行して来なければこの上映時間には間に合わない。自分と同じ行動をした同級生がいたことに桜は関心を持った。
井崎幸生は、そんな桜に気付かないまま、9番スクリーンから立ち去っていった。
後を追いかけようと思った桜だったが、狭い出口に詰まった観客に阻まれ、ようやくロビーに出たときにはもう幸生の姿はなかった。
――同じ映画を観てたんだ。
井崎くんは、どんな感想だったのかな。
同級生に興味を持った桜は、ふと頭の中で考えた。
――明日、彼に声をかけてみようか。
そう思い描いたとたん、桜の胸の動悸は高鳴り、心室から勢い良く圧し出された血流は耳たぶまで真っ赤に染め上げた。
高校に入学して半年の間、授業の用事以外で自分のほうから男子に声をかけるなんて、実行したことなどついぞ無かった。
シミュレーションしただけで、桜はパニックになってしまった。
ぷるぷる、と首を振り、胸騒ぐ原因を頭から払い落とすと、桜は施設の外に出た。
冷んやりとした空気が桜の火照った頬を醒ます。
日中は穏やかだったものの、陽が傾けば気温は一気に冬の気配を寄せ、冷たい風を散らしている。
はぁ、と溜息を吐くと、桜は空を仰いだ。
暮れかけた夕闇の中に、一番星が輝いていた。
* * *
翌朝、1年E組の教室に入ると、桜はすぐに窓際2列目、2番目の幸生の席に目を遣ったが、まだその席の主は登校していない。
空いた座席に目を配りながら、桜は廊下側4番目の自分の席へ着いた。
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