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隣の席の祐子が元気に「おはよう」と声をかける。桜もそれに応え「おはよ」と返す。
クラスで一緒とはいえ、桜はこれまで幸生とは殆ど会話を交わしたことはなかった。
入学して半年余り。もともとそれほど社交的でもない桜は、40人いるクラスメートたち皆と気のおけない関係になったわけでもない。自分の中に籠りがちで学級という集団に溶け込みきることのできないまま日々が過ぎ、夏休み前にようやく全員の顔と名前が一致するようになったくらいだ。いまだに碌に話もしたことのない生徒も何人かいる。男子は尚更だ。桜にとって幸生はそのカテゴリの1人だった。
彼が何に興味があって、どんな人柄なのか――そんなことさえもよく知らない。
ただ、平日にわざわざ映画館にまで足を運ぶ行為が、妙に桜の心にひっかかっていた。
予鈴が鳴り、ほぼ同時に幸生が教室に入ってくると、どさりと鞄を窓際2列2番目の机に置き着席した。
幸生の一挙手一投足を見詰めるうち、ふと幸生がこちらをチラ、と見遣ったような気がした。
目が、合ってしまった。
桜は一瞬そう感じ、戸惑った。
――ただ一言だけ、声をかければいい。
“井崎くん、昨日映画館にいた?”
けれど、その一言が、かけられない。
どうしようか、と桜が悩むうち、本鈴が校舎内に響いた。
昼休みが来ても、桜のモヤモヤは解消されることなく幸生の所作ばかり気にしていた。
周囲にはできるだけ悟られないようにしていたつもりだった。それは上手くいっていると、桜も思っていた。
暖かな陽射しに誘われ、桜は渡り廊下になっている教室のベランダに椅子を出し、そこで昼食をとることにした。
柔らかな風が心地良い。
雲ひとつない空。
数日前に木枯らし1号が吹いたとは思えない暖かさだった。
――こんな日は、なんて呼ぶんだっけ。
冬の季節の、あったかい日。
何かの映画のタイトルにもなってたような……
桜は思い出そうと記憶の抽き出しを探った。
膨大なデータから、ひとつのファイルがヒットする。
――そうそう、たしか、
“インディアン・サマー”……
そんなことを夢想しながらランチボックスを広げ作ってきたサンドウィッチを黙々と口に運んでいたとき、ふいに斜め後方から声が発せられてきた。
「お前さ……昨日映画館にいなかった?」
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