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「まさか、平日のあんな時間にクラスの奴に出くわすとは思わなかったからなあ。しかもあんな、けっこうマイナーな作品で」
桜の動揺をよそに、幸生は独り言のように話を続けた。
「あの監督の作品って、いつもはたいがい独立系の劇場でしかかからないんだよな。今回は主演にメジャーな役者が出たから、あのシネコンでもかかったけど」
そこまで詳しい背景は、桜は知らずに観賞していた。
桜にしても、わざわざ平日に映画館に足を運ぶくらいだから、かなりの映画好きの類と言っていいだろう。それでも、幸生の知識はそれを上回っている。
幸生の語りはまだまだ続く。
「俺さ、あの監督の映画、ほぼ全部観てるんだ。夏休みにちょうど名画座であの監督の特集をやって、これまで観逃してたやつはけっこうフォローした。荻野は、他のをどれか観たこと、ある?」
幸生が顔をこちらを向け、桜に問いかける。
目が、合った。
「う・ううん」
桜は慌てて大きく首を振った。
「そっかぁ。けっこういい作品、あるから、機会があったら観るといいよ」
そう言うと、幸生はベランダの下の中庭に目を移した。常設されたバスケットゴールを挟んで、クラスの男子生徒たちがボールを奪い合い戯れている。
――ああ、このひと、ほんとうに映画が好きなんだなあ。
幸生の横顔を眺めながら、桜は思った。
「ウチのクラスで、あの映画に行くやつなんて、いないと思ってた。まさか荻野が観てるとは思わなかったよなあ。映画には、よく行くの?」
「え? う、うん、まあ――」
「なら、また鉢合わせるかもしれないな」
幸生の言ったことを想像して、桜の心臓はまたとくん、と鳴った。
中庭のバスケをしている生徒が幸生を呼んだ。ゲームの面子が足りないので声をかけたらしい。
幸生は「おう」と返しながら教室内へ戻っていった。
去り際、ベランダと室内のサッシを跨ぐとき、幸生はチラ、と桜に目配せして
「また映画館で会おうな」
と言い残した。
幸生のその言葉が、桜の全身を駆け巡った。
桜はサンドウィッチを食べるのも忘れ、眼下でスリー・オン・スリーに興じる幸生の姿を眺め続けていた。
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