57人が本棚に入れています
本棚に追加
「これは、若菜の大事なもの?」
あーちゃんの声が、先刻よりも少し近くに聞こえる。
「んっ。とても」
顔を上げると、目の前であーちゃんがはにかんでいた。
「そか。良かった」
そしてにかっと笑う、いつもの表情へ。
それが、ひときわ明るく輝いて見えるのは、少女の装いだからだろうか。
「若菜。うちに寄っても良い?」
「え? どした?」
「若菜んちまで送っていきたいけど、さすがにこの格好じゃな」
「気付かれないんじゃない?」
「相手が香穂さんじゃ無理だよ」
「そ?」
香穂は勿論、私の母の名だ。
「そ。だから、寄ってこ。うち」
「別に、一人で帰れるよ」
「だめ」
ダメ、じゃなく。
駄目、な感じでもなく。
だめ、という言葉がふわりと舞うように横髪を撫でていって、それがくすぐったい。
「いこ」
また。
行こ、じゃない。
いこ、の、軽やかで実態のない煙のような、しかしほんのり甘く色付いた響きが、いつも通りのようで違う。
鼻先を掠める戸惑いに、少しだけときめいてしまう。
そんな、私の心に一筋残る薄い痕跡を一掃するように、もしくはより濃く深くえぐるように、がっしと手を繋ぐあーちゃん。
そして、にかっと笑って走り出す。
「次のバス停から乗ろ。行くぞ」
うんっ、と、あーちゃんに負けない元気な一歩を、私も踏み出した。
最初のコメントを投稿しよう!