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阿遥と呼ばれた少女はそう言って頬を膨らませてみせる。そしてちらりと李白を見、そして碁盤を見た。そして数秒後、口元を小さく歪めてから辛悟に向き直った。
「若様、大旦那様がお探しです。すぐにお屋敷へ戻っていただけませんか?」
「ジジイが俺を探している? 一体何のために?」
それは存じ上げません、と阿遥。ふむ、辛悟は顎に手を当て考える。これは目の前の対局以上に頭を悩ませる疑問だった。辛大老はここしばらく辛悟の素行について口を挟むことはなかった。賭場に通っていることは偶然それを知られてしまった使用人の阿遥以外知らないことだが、仮にそれが露見したのだとしても今更小言を言うためだけにわざわざ呼びつけるとは思えない。では一体どうして?
「うおおぉぉらぁ! 悩みに悩み抜いた末のこの一手ぇ! 実に素晴らしい! 美しい! やっぱりわしは抜群に冴えておる。さあさあお主の番じゃ、この風光明媚な一手に続く苦し紛れの足掻きを見せよ!」
「いや、悪いが俺は急用が入ったので帰らせてもらおう」
「そうかそれなら仕方がはぁぁぁぁぁぁん!?」
いちいちうるさい奴だ。立ち上がろうとした辛悟の袖を掴んで酒臭い息を吹き付け逃がすまいとする。
「わしに怖じ気づいたのか? だったら投了ぐらいするもんじゃ」
「誰が投了などするか。金が欲しいならくれてやる。いくら欲しい?」
「アホか! わしは金など要らんと言うたろうが、酒を寄越せ!」
酒なんて渡した金で買えば良いじゃねーか。まあ、そんなことを言って聞くようには見えないが。辛悟は少し呆れたように息を吐き、そしてふと阿遥の顔を見て閃いた。
「……阿遥、お前なら次はどう打つ?」
「え? 私ですか?」
突然話を振られた阿遥は一瞬面食らった様子だったが、すぐさま黒石を一つ取り、
「私なら、ここへ打ちます。当然です。鳥のフンでも少しの知性があれば思いつきます」
ぴしりと打ち込んだ。団子状になっていた白石を完全に包囲した形だ。白石は息の根を止められ、取り除かれる。
李白の顎がかくりと音を立てて外れた。
「というわけで、李白とやら。この阿遥という娘に碁を教えたのはこの俺だ。これであれば代役に立てても文句はあるまい」
「はいひゃふ――代役じゃと? このちみっこいまな板のような小娘がか!?」
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