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 辛家と言えば、その街ではそれなりに名の知れた名家である。広大な邸を街の東に構え、使用人も住み込みで大勢働いている。それだけ大きな家柄であるのに、住んでいる辛家の血族はたったの二人しかいなかった。  一人は武則天の時代、地方官僚としてその腕を揮った辛大老。誰も畏(おそ)れ多くて本名で呼ぶことはなく、大老と呼ばれているのだ。  もう一人は辛大老の嫡孫と言われている。父親は辛大老の嫡男で、現役官僚として今は別の都市でその任に就いている。二代に渡って官僚を輩出した辛家の跡取りとして、その息子もまた将来有望とされていた。  ――それが、どうしてこんな辺境の街に?  辛大老が中原から離れたこの土地に居を構えたのは、単に隠遁生活を送り余生を楽しむためである。既に婦人とも死別した辛大老は日々静かに暮らすことを望んでいるのだ。故に、将来を嘱望されたその孫がわざわざ現職官僚である父親の元ではなく、辛大老の邸に住まうというのには疑問がある。無論、誰もそれを直接追求しようなどとはしなかったが、勘の良い者たちの間ではおおよその見当がついていた。  曰く、辛大老の孫は出来損ないである、と。実際にその姿を見た者はいなかったので、それが不具を言うのか、あるいは勉学のことを言ったのかは解釈する側によって変わるものの、おおよそそのような見解が広がっていた。  実際のところで言うと、これは真実を言い当てていた。辛大老の孫は学問ができないために田舎で暮らす祖父の元へ送られ、競争相手の少ない土地から太守の推薦を受けることで出世街道へ乗るよう求められたのだ。現役有力者の後援があれば合格の可能性は格段に上がる。
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